国民が一斉に同じメディアを体験する時代は、もはや過去のものとなった。インターネットの台頭により、大勢を「マス」ととらえる概念自体が崩れ去ったのだ。ところが、マスメディアの多くは、個々の顧客が何に興味を持ち、何を必要としているかという情報を集める手段を持っていない。ネット上ですら、ページビューといったマスメディアの既存の基準でメディアの成功度合いを測り続けている。
著者によると、今後メディアに携わる人に不可欠なのは、ユーザーと人間関係を構築するスキルだという。ユーザーの住所や勤務地、興味の対象といった情報を得られれば、個々人に、よりふさわしいサービスを提供し、より適切な広告を提示できるようになる。そのためには、相手が個人情報を明かしたくなるような、価値あるサービスを提供し、ユーザーと信頼関係を築く必要がある。その先駆的存在であるグーグルは、メール、地図、ドキュメント、ユーチューブなどのサービスを無料提供し、その価値を高めている。
ローカルのオンラインニュースサイトを例にとろう。ユーザーの声から、がん患者が多数いるとわかれば、がん専門医のブログやがん患者のコミュニティをサイトに加えるなど、よりユーザーにとって優先度の高い情報を提供できる。今後のメディアが生き残るには、ユーザーとの関係性を強化し、得られた情報の分析をもとに、サービスを向上させなくてはならない。
これからのメディアの成功を測る尺度は、発行部数やページビューといった「匿名の人をいかに集めたか」ではなく、「個々の顧客、ユーザーとどれだけ良好な関係を築けたか」になるだろう。具体的な指標は、ユーザーが個人情報を提供してでも利用したいサービスがあるか、集めた情報をユーザーの利益のためにどれだけ利用できているか、情報を自社の広告料や利用料の増加にどれだけ役立てられているかなどになるはずだ。あくまでジャーナリズムの追求すべき価値は、利用者の目標達成に役立つことなのである。
ジャーナリストが自分のことをコンテンツクリエイターだと見なしてしまうと、つくったものを自分の所有物だと考えがちになる。しかし、コンテンツをつくるだけでは、ジャーナリストという職業は成り立たない。今後ジャーナリズムはサービス業となり、コンテンツはジャーナリストの提供するサービスやコミュニティで用いるツールの一つとなるだろう。
今や、一般の人でも第三者を介さずに直接コミュニケーションができる時代だ。ジャーナリストに求められるのは、情報を入手し、他者とコミュニケーションできる場を提供することである。そのためには、ツイッターやフェイスブック、アメリカ最大級のソーシャルニュースサイトのレディットなど、既存のプラットフォームを活用するのが有効だ。その際、ジャーナリストは「読者は自分よりものを知っている」という前提に立つことが必要となる。現に、コンテンツの受け取り手が制作過程にも関わる動きも始まっている。
しかし、コミュニティ内のやり取りだけでは必要な情報が得られるとは限らない。そこでジャーナリストの出番となる。ジャーナリストは専門家や関係者への取材を通じて、誰も答えられない問いに答えたり、断片的な情報を体系化したり、情報の重要度や信ぴょう性を選別し、知らせたりする役割を担うのだ。さらには、実りある議論のためのイベントの開催や、情報を活かした活動の支援といったスキルも活かせるだろう。
従来のように、情報の出口に門番のように立ち、どの情報を流すかを独占的に決めるのは不可能である。むしろ、今後は情報の入手は一般の人々に委ね、ジャーナリストは情報に付加価値をつけることに注力すべきだと著者は説く。
このように、ジャーナリストと一般の人々との関係性は様変わりする。すると、人々の声に耳を傾けることがますます重要となり、その手段として、考えや知識を共有し合えるプラットフォームの構築が必要となるだろう。つまり、人々の提供する情報を整理し、わかりやすく提示し直すのがジャーナリストの役割となる。ジャーナリズムとは、コミュニティの知識の体系化を助ける仕事なのである。
20世紀後半のアメリカでは、報道は垂直統合型の寡占産業だった。それが可能だったのは、コンテンツをつくり、流通させるための資源の「希少性」による。しかし、デジタル化によって、情報提供においてメディアの仲介や審査が不要となった現在、かつてのメディアの事業は縮小せざるを得ない。
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