バリアバリューとは、「短所を長所に変えよう」という考え方である。著者の人生を振り返りながら、この思考法の生まれた背景を紹介していく。
著者は生後一カ月が過ぎた頃、骨が脆くなってしまう「骨形成不全症」だと診断された。幼稚園時代は歩けていたが、走って転んでは骨折し、何度も病院に担ぎ込まれていた。小学生になり学年が上がるにつれ、骨折で入院すると学校の勉強についていけなくなるため、著者は徐々に「歩かない」ようになっていった。すると、骨に圧力がかからないので骨の成長も止まり、5年生の頃には車いす生活を余儀なくされた。
そんなとき、担任の先生はこう言った。「今日、俊哉くんと遊んであげる人は誰?」まるで「かわいそうな子」と言われたかのように著者は感じた。思いやりゆえの発言に、5%は感謝の気持ちを抱いたが、残りの95%は怒りの感情で埋め尽くされた。「自分は『普通』ではない、自分は障害者なんだ」と、心の中にバリアが生まれた瞬間だった。幸い、彼の行き場のない怒りは、「どうすればみんなに一緒に遊びたいと思ってもらえるか」を考えるというポジティブなエネルギーに転換されていった。お笑い番組のネタを披露したり、女子トークにも参加したりすることで、思いがけずコミュニケーション能力が磨かれていった。
高校時代、エレベーターも車いす用の昇降機もない校舎では、クラスメイトに車いすを運んでもらい、自分は階段を四つ這いで上っていたという。常に周囲の視線を気にし、誰かの手を借りなければいけない生活に、著者はほとほと疲れ切っていた。16歳の秋、障害を克服したいという思いが爆発し、高校を辞めて手術とリハビリに専念しようと心に決めた。三者面談の際、担任と親の前で彼は退学の必要性についてプレゼンテーションをする。あくまで、人生を好転させるステップだと強調したのだ。もちろん、両者から猛反対に遭うが、「退学ではなく休学」という条件付きで許可を得られることになった。
しかし、手術後の経過が思わしくなく、先生からは気の毒そうに「(歩くのは)簡単ではないだろう」と告げられた。著者はその夜、絶望のあまり、自ら命を断とうと決めたが、彼の足では屋上の柵をよじ登ることすらできなかった。
毎晩のように泣き明かしながら入院生活を送っていると、ある日、富松さんというおじいさんと話をする機会を得た。「具合がよくないのか?」と富松さんに尋ねられ、堰を切ったように著者は思いの丈を吐露した。富松さんの返事はこうだった。「君はちゃんと登り切った先の景色を見たのかい?」
リハビリを始めてまだ3ヶ月。「もう一度チャレンジしてみよう」と背中を押された瞬間だった。
3,400冊以上の要約が楽しめる