現生人類、すなわちホモ・サピエンスは、15万年前には東アフリカで暮らしはじめていた。しかし、それ以外の場所に進出して他の人類種を絶滅に追いやったのは、今から7万年ほど前になってからのことだった。
その理由について、ほとんどの研究者は、ホモ・サピエンスの認知的能力に大きな変化が起こったからだと考えている。これを「認知革命」と呼ぶ。その原因は定かではないものの、これにより私たちは言語という、他のどんな動物ももっていない能力を獲得した。「虚構」、すなわち架空の事物について語れるようになったのである。そしてそれがホモ・サピエンスを特別な存在に押しあげることとなった。
私たちには、天地創造の物語や、近代国家の民主主義のような、共通の神話を紡ぎだす力がある。この能力が、無数の赤の他人と柔軟なかたちで協力することを可能にさせた。
事実、近代国家にせよ、中世の教会組織にせよ、古代の都市にせよ、太古の部族にせよ、人間の大規模な協力体制は何であれ、人々の集合的想像に根ざしている。虚構を発明したことにより、私たちはたんに個人で物事を想像するだけではなく、集団でそうできるようになったのである。
物語を語ることそれ自体はむずかしいことではない。しかし、あらゆる人に納得してもらうことは簡単ではない。それゆえに歴史の大半は、どうやって厖大(ぼうだい)な数の人々を納得させる物語をつくれるかを軸に展開してきたといっていい。
とはいえ、いちど共通の物語さえ獲得してしまえば、ホモ・サピエンスは途方もない力を発揮する。誰もがその存在を信じている物語は、共有信念が崩れないかぎり、社会のなかで力を振るいつづけるからだ。たとえば、呪術師のほとんどは神や魔物の存在を本気で信じているし、人権擁護運動家の大多数も「人権」という存在を心から信じている。どれもこれも、本当は私たちの豊かな想像力の産物にすぎないというのに。
また、人間どうしの大規模な協力は神話にもとづいているため、別の神話にすげ替えることによって、人々の協力の仕方を変更することも可能だ。うまく条件が整えば、神話はあっという間に現実を変えてしまう。1789年、フランスの人々はほぼ一夜にして王権神授説という神話を信じることをやめ、国民主権の神話を信じはじめた。そしてそれに合わせて、社会体制という現実も大きくその姿を変えたのがその実例だ。
このように、認知革命以降、ホモ・サピエンスは求められる行動の変化に応じて、素早く振る舞いをあらためることができるようになった。これにより、遺伝子や環境の変化をまったく必要とせずに、新しい行動を後世に伝えてきた。
これぞホモ・サピエンス成功のカギといえる。もしホモ・サピエンスとネアンデルタール人が一対一で戦ったら、ホモ・サピエンスはネアンデルタール人に勝つことはできなかっただろう。だが大規模の争いになったら話は別である。勝つのは確実にホモ・サピエンスだったはずだ。なぜならネアンデルタール人は虚構をつくる力をもっていなかったため、大人数が効果的に協力できず、急速に変化していく問題に社会的行動を適応させることもできなかったからである。
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