収容所に移送された人々は、まず「恩赦妄想」にとらわれる。死刑を宣告された者が恩赦で助かることを空想するように、「そこまでひどい事態は起きないだろう」、「なにもかもうまくいくはずだ」、と自分に言い聞かせるのである。
実際、移送の貨車に途中で乗り込んできた被収容者たちは、血色もよく、陽気で、その希望を裏付ける姿を見せていた(しかし彼らは実際のところ、新規の被収容者の持ち物から値打ち品を取り上げるために同乗した「エリート」被収容者たちだった)。この恩赦妄想は、夕刻に将校の前で最初の選別を受けるまで、フランクルたちの心を支配していた。
夕方、フランクルたちはすべての所持品を置いて貨車から降り、将校の前を歩くように指示された。将校は被収容者が前を通るごとに、指をかすかに右に、あるいは左に動かした。フランクルはできるだけ背筋を伸ばして立った。すると、将校の指は右に動いた。
その夜フランクルは、収容所暮らしの長い男に、一緒に収容された友人の行方がわからないと漏らした。
「その人はあなたとは別の側に行かされた?」
「そうだ」
「だったらほら、あそこだ」
そういって男は、数百メートル先の煙突を指さした。
「あそこからお友だちが天に昇っていってるところだ」
こうしてフランクルは、将校の指の動きが最初の淘汰であったこと、そして収容所がどういう場所であるのかを理解した。
「消毒」と称して身ぐるみをはがされ、体中の毛を剃られ、フランクルたちに残されたのは裸の体ただひとつだけだった。フランクルは書きかけの学術原稿だけは残してほしいと懇願したが、それが叶うことはなかった。
そんな風に希望が潰えていく中で、被収容者たちの心に浮かんだのはやけくそのユーモアだった。「消毒」に使われたシャワー室では、シャワーノズルから「本当に」水が出たことを皆で笑いあった。
ユーモアは、その後の長い収容所生活でも重宝された。ものごとをなんとか笑い話にしようという試みはまやかしにすぎないかもしれないが、生きるためには欠かせないものである。ユーモアとは、状況に打ちひしがれて自分を見失うことのないよう、人間に備わっている魂の武器なのだ。
ユーモアの他にもうひとつ、心を占めたものがある。それは「これからどうなるのだろう」という好奇心だった。世界を外から見るようにして自分たちを観察すると、驚くことがいくつも明らかになった。
3,400冊以上の要約が楽しめる