日本で売っている商品をそのまま海外で販売しているにもかかわらず、MUJIは多くの国々で受け入れられ、世界中にファンを持っている。
MUJIと欧米のグローバルブランドとの決定的な違いは、あつかう商品数の多さだ。衣服・雑貨・食品など、MUJIのあつかう品目は多岐にわたり、現在では約7000品目が販売されている。
これができるのは、MUJIの商品がすべて「MUJIらしさ」にもとづいて商品化されているからである。だからこそ、これだけ多くの商品を出していても、ブランドイメージを保てているのだ。
MUJIは欧米やアジア圏から、近年では中東やインドにいたるまで、幅広い地域で店舗展開をしている。
国際経営やマーケティングの視点からすると、これだけ宗教や慣習の異なる地域に店舗展開するのはかなりチャレンジングだ。顧客の属する生活様式が異なると、日用雑貨をあつかう企業は壁にぶつかるのが普通である。
しかし、MUJIのもつクセのないシンプルな商品は、どのような文化圏に対しても合わせられる「余白の力」をもっている。この「余白の力」こそが、日本仕様の商品のまま海外で受け入れられている秘訣である。
MUJIの商品開発における基本的な姿勢は、多くの人が「良い」と思う商品をつくることである。
一般的なマーケティングでは、ターゲットとなる顧客をまず定め、そのターゲットの嗜好に合わせた商品をつくっていく。しかし、MUJIはそのような考え方をしない。
MUJIの哲学は、特定の個人の好みにジャストミートする「これ『が』いい」という商品をつくることではなく、不特定多数の人が満足する「これ『で』いい」という商品をつくることである。消費者が「これ『で』いい」と納得できるような商品をつくっているからこそ、MUJIの商品はそのまま海外でも受け入れられるのである。
MUJIが誕生した背景には、「民芸運動」という社会運動があった。
民芸運動とは、柳宗悦を中心に1920年代から起こった運動だ。日常的に使用している日用品の中に「用の美」を見出し、活用していこうというスローガンが掲げられていた。
日用品のアノニマス性(無名性)にこだわり、現代の生活に合った使いやすい商品を追求しつづけるという点で、MUJIは現代の民芸運動といえる。日常における美意識に注意を払い、決して目立つわけではないがそこに存在する美しさを大切にする。どこで使用しようとも違和感のないMUJIのデザインのシンプルさは、このような美意識から来ているのだ。
MUJIが海外で語られる際は、日本古来の美意識と結びつけて語られることが多い。MUJIの商品には無駄がないため、日本のわびさび的なコンセプトをもった商品だと捉えられているのだ。
わびさびはもともと茶道の考え方である。岡倉天心の『茶の本』によれば、茶室は空っぽの入れ物であり、そこに何を入れ、どのようにして完成形に近づけていくかが茶道の本質であるという。また、招かれた客と共に茶の経験を完成させていくというのも茶道の発想だ。
こうした茶道の考え方と、MUJIのスタイルにはたしかに似たところがある。MUJIの顧客は商品を購入すると、使いやすいように自分なりのアレンジをする。これは、MUJIがシンプルだからこそできることだ。
MUJIの戦略は、一般的なグローバルブランドが行なっているセオリーに反している。そしてそれが、MUJIを模倣できないブランドたらしめている。
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