100年前に発明された自動車は、世界の都市や社会、人々のライフスタイルを形づくってきた。しかしその代償は大きい。街は車に溢れかえり、空気は汚れ、交通事故により数百万人もの命が失われている。
この問題を解消するためには、人間ではなく人工知能に運転をさせればよい。すなわちドライバーレス・カーだ。そのほうが、より安全かつクリーンで、はるかに便利な移動手段になるはずである。
ドライバーレス・カーは信頼性の高い人工知能を必要とするため、長年実現にはいたらなかった。だが、近年の飛躍的な視覚情報処理技術の発達により、ドライバーレス・カーは現実のものになろうとしている。
アメリカでの調査によると、若者ほど運転は退屈だと感じており、ドライバーレス・カーへの興味が高い。それにもかかわらず、ドライバーレス・カーがなかなか実現しないのは、様々な誤解にもとづく反対意見があるからである。
まず、「自動運転テクノロジーは、段階的に移行すべき」という主張に反論したい。これは、現在の運転支援機能を徐々に拡大して、人間と機械がハンドルを共有すべきというものだ。しかしこのような方式では、人間は運転に注意を払わなくなり、かえって危険な状態をつくりだしてしまう。
また、「自動運転テクノロジーの実現には、莫大なインフラ投資が必要となる」という誤解も根深い。これは米国運輸省が、かつて「コネクテッド・カー」構想として、道路に莫大な投資をしようとしてきたことに由来する。しかしドライバーレス・カーを実現するうえでは、道路ではなく車に知性を持たせればよいため、莫大なインフラ投資は必要でない。
さらに、「ドライバーレス・カーは、100%安全でなければならない」という現実性に乏しい意見もある。だが、そういう意見をもつ人々は、そもそも人間が運転する車によって毎日のように自動車事故が発生していることを無視している。平均的なドライバーを超える安全性が確保されたら、ドライバーレス・カーは導入してもよいと考えるべきだ。
電気自動車、カーシェアリングなどの出現により、自動車メーカーは従来のビジネスモデルを再考しなければならない段階にきている。これに加え、もしドライバーレス・カーが普及すれば、自動車メーカーは生き残りをかけて、さらなる再編を余儀なくされるはずだ。
その場合、自動車メーカーは独自のソフトウェアを開発するか、車体製造に専念するしか道はない。つまり自動車メーカーの未来は、車に知性を与えるOSを自動車産業とソフトウェア産業のどちらが開発するかで決まることになる。
現在、自動車メーカーはドライバーレス・カーへの移行プロセスをできるだけ緩やかに進めようとしている。これは、自動車メーカーがまだ人工知能ソフトウェアの開発にまだ不慣れであり、ドライバーレス・カーの時代になると消費者がマイカーを買わなくなると予想しているからである。
自動車産業は、米国のGDPの12%を占めている巨大産業である。この巨大な市場をめざして、自動車メーカーとグーグルは別方向からアプローチしている。もしグーグルが勝てば、自動車メーカーはコスト効率の良い車体を製造するだけの請負企業となってしまうだろう。
OSは、ドライバーレス・カーを実現する重要なテクノロジーのひとつである。ただ、パソコンのOSと異なり、ドライバーレス・カーのOSの性能が悪ければ、犠牲になるのは人間の命だ。
このため、ドライバーレス・カーのOSには、3つの重要な性能が求められる。
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