あらゆる種の生き物には、根源的に責務が課せられている。それは生きつづけることである。しかも厄介なことに、私たち人間は、遅かれ早かれ自分が死ぬことを知っている。それが私たちに不安をもたらす元凶である。
本来、恐怖とは、差し迫った死の恐怖に対する自然な反応である。しかし、私たち人間だけが発達した自意識のせいで、迫りくる危険がない状況でも、恐怖を経験することができてしまう。
この潜在的恐怖こそが、人間の「芯に巣くう虫」である。この死に対する恐怖を管理するために、私たちは自己防衛を迫られることになった。
死への恐怖に対抗するため、人間が生み出した手段は大きく分けて2つだ。ひとつは「文化的世界観」、すなわち実在の本質を自分たちに説明するためにつくり出す信念である。これがあるからこそ、人々は生きる意義を感じ、宇宙の起源を理解し、この世での価値ある行動を自覚し、そして永遠不滅を夢想することができる。自分たちの文化における政府や教育、宗教の制度や儀式にこだわるのも、世界観を築き、維持し、守っていくためだ。
死への恐怖に対抗するためのもうひとつの手段が「自尊心」である。世界観を享受するためには、自分も文化の貴重な一員だと感じる必要がある。実際、文化によってその方法はさまざまではあるものの、自尊心を求める心は万国共通だ。自尊心があるおかげで、私たちは自分たちの世界観の正しさを肯定できるし、死に対する恐怖から身を守ることができる。逆にいえば、自尊心が欠けている人間は、死の恐怖に野ざらしになってしまっている。
死を考えることが、人の営みにきわめて重要な役割を果たすという考えは古くから存在している。しかし科学的心理学の領域において、これまで死の問題はあまり重要視されてこなかった。その原因はおそらく、死がおよぼす影響は、厳格な科学的手法で理解したり検査したりできないという認識にあるだろう。
しかし、科学的手法によって、人々がどのように潜在意識上にある死の恐怖に対処するかを説明できるかもしれない。そう考えた著者たちは、被験者のひとつのグループには自分の死すべき運命を思い起こしてもらい、別のグループにはそうしないという研究をおこなった。
結果は顕著であった。判事たちに協力してもらい、キャロル・アン・デニスという架空の売春婦が起こした飲酒運転、万引き、風紀紊乱(びんらん)行為を検討し、保釈金を決定してもらった。すると、自分の死について想起させられなかったグループの判事たちは、50ドルという平均的な保釈金を課した。一方、自分の死を思い起こさせられたグループの判事は、平均455ドルという、はるかに懲罰的な保釈金を強いた。これは標準的な金額の9倍以上だ。
この実験結果からわかるのは、自分の死すべき運命について考えた判事のほうが、自分たちの文化に規定されている「正しいこと」をしようとするということである。売春婦と疑われる人物に対して極端に高い保釈金を決定することで、倫理的犯罪に「ふさわしい」罰を与えようとしたのだ。
死を想起することは、自分と共有する価値観を守る人に対するポジティブな反応を強め、逆に異なる価値観をもつ人に対するネガティブな反応を強める。
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