世界初のプログラム可能なコンピュータは、1945年に生まれたENIAC(エニアック)だ。真空管でできた重さ30トンの「巨大な頭脳」は、1分間で2万回もの乗算を実行できた。どんなに頭脳明晰な人でもかなわないスピードだった。このコンピュータの草創期に、後のAIの基礎を築いた3人の男たちがいる。
まずジョン・フォン・ノイマンは、マンハッタン計画に加わり、水素爆弾の爆破力を最大化するための開発をしていた天才研究者だった。彼の計算機科学での功績は、コンピュータのメモリにプログラムを格納するという考えを、初めて定着させたことにある。
つづいて2人目、イギリスの数学者アラン・チューリングは、第二次世界大戦中にドイツのエニグマ式暗号機を解く解読装置を発明したことで有名だ。チューリングは「万能チューリングマシン」という重要な概念を提唱した。この基本的な考え方は、1つの機能しか持たない機械を多数作るのではなく、1本のテープから順番に命令を読みだすことで、様々なタスクが実行できる万能マシンになる、というものだ。
3人目のクロード・シャノンは、情報理論の生みの親として知られている。彼はトランジスタのオンオフだけで、AND・OR・NOTの論理演算ができ、この単純なステータスを組み合わせて複雑な命令手順をつくれば、複雑な論理推論が実行できると提唱した。
1960年代、AIには潤沢な予算が付き、AIの黄金期だった。優秀なチェッカープログラムが作られ、微積分や幾何学の問題を解くプログラムも作成された。しかし、当時研究者たちがめざしていたのは、知能を記号で表せる「記号操作的AI」だった。このため、環境が限定されるマイクロワールドでは動作したが、現実世界では役に立たなかった。やがて予算が打ち切られてしまい、「AIの冬」の第1期に突入してしまう。
1946年に、ウォーレン・マカロックとウォルター・ピッツという研究者2人が、脳の神経細胞を模したニューロン形式モデルを発表した。さらにローゼンブラット教授は、「パーセプトロン」という名称のニューラルネットワークに、学習能力があることを証明してみせた。しかし1969年に、記号操作的AIの重鎮マービン・ミンスキー教授に、単層ニューラルネットワークでは識別できないパターンがあると指摘されると、研究資金が途絶えてしまった。
その後ニューラルネットワークは、日陰者扱いされながらも、多層化されるなど、細々と研究が続けられていく。1986年、研究者デービッド・ラメルハートが「バックプロパゲーション(誤差逆伝播法)」を考案して、その高い性能を示すと、ニューラルネットワークはブームを迎える。
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