本書は冒頭に記したとおり、ヤマザキマリ氏が古代ローマ的な魅力を持つ古今東西の男たちについて、独断と偏愛丸出しで語るというものだ。本論に入る前に、第一章ではヤマザキ氏がどのような家庭で育ち、いまどのような家庭を築いているかが紹介されている。
ヤマザキ氏は自らを半分外国人、半分日本人だと称している。幼いうちに亡くなった父は母と同じく音楽家。唯一勤め人であった祖父は銀行の海外支店で働いており、日本人的アイデンティティは薄かったそうだ。父が亡くなってからは、母の仕事で世界各地を飛び回っていた。幼少期から海外の空気の中で育っていったのだという。
現在、ヤマザキ氏は14歳年下のイタリア人の夫と息子と北イタリアで暮らしている。夫ベッピーノは比較文学の研究者で、最近まではシカゴ大学で教鞭をとっていた。ヤマザキ氏が結婚したのは2002年の話。ヤマザキ氏には、イタリア人で詩人の前夫との間で授かった、デルスという息子がいた。
再婚してからというもの、働き方や家族との過ごし方の違いなど、異文化ならではの難しい経験もしたという。しかし、ベッピーノの行動は家族のことを最優先に考え、物事に柔軟に対応する「古代ローマ的」な性質ゆえのものであり、そこに惹かれるのだ。
ヤマザキ氏を魅了する「古代ローマ的」男性とは一体どのような性質を持っているのだろう? 次章を見ていきたい。
まず本書の初めに紹介される男性は、130年代に活躍したハドリアヌス帝である。
ハドリアヌス帝は他の皇帝とは少し毛色の異なる、複雑で多元性のある人物であった。喩えるならば、友達としてはいてほしいけれど、家族にしたら苦労しそうなマイペースの天才。ひとに仕事を任せるよりも、すべてを自分でやらないと気がすまない、探究心と自尊心が一緒になったタイプである。文化面でも多くの功績を残した彼は、「戦争よりも文化と芸術を愛する」皇帝として名を残した。ちなみにハドリアヌス帝は今なおローマに残るパンテオンの設計者でもある。
前皇帝トライアヌス帝が現在のハンガリーからルーマニアあたりまでを征服したのを受け、ハドリアヌス帝は「広げたのはいいのだけれども、これからローマをどうするべきか?」と考え、それまでの領土拡大路線から方向転換をはかった平和主義者として知られる。
ハドリアヌス帝の21年の治世のうち、視察旅行に費やした月日は実に13年。やみくもに戦うかわりに別部族の有力者たちと話し合っては、ローマ市民権を与えたり、和解調停案を提示したりと、発展よりも保守保全を重視していく。ハドリアヌス帝は「寛容性」を目指していたのだ。ギリシャをはじめ、各国の文化に傾倒し積極的にローマに取り入れた姿勢も「寛容性」のあらわれであろう。
ヤマザキ氏が考える、古代ローマの美点とは「寛容性」である。この「寛容性」というキーワードに基づくと、『テルマエ・ロマエ』がいかに「古代ローマ的」思考によってできあがった作品であるかが理解できるのではないだろうか。
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