事の起こりは一九四〇年代末にさかのぼる。当時アメリカ空軍では、飛行機の墜落事故が頻発し、深刻な問題となっていた。原因究明の結果、飛行機の構造や電気系統に異常はなかった。パイロットの操縦スキルにも問題はなかったため、最終的にコックピットの設計が見直されることになった。
当時のコックピットは、一九二六年に測定したパイロットの体の寸法の平均値に合わせて設計されたままだったので、アメリカ空軍はパイロットの最新の身体データを集めることにした。最新データに基いて平均値を計算し直し、コックピットを再設計すれば、問題は解決すると関係者の誰もが信じていた。ただ一人、ギルバート・S・ダニエルズ中尉を除いては。
ダニエルズはハーバード大学で人間の生体構造を研究する形質人類学を専攻した。形質人類学では、平均的な体型に基いて人間の性格を特定し分類する。ダニエルズはこれに興味が持てず、代わりに卒論ではハーバード大学の男子学生二五〇人分の手の形を比較することをテーマに取り上げた。
まず、すべてのデータを測定して平均値を割り出し、個別の測定値を平均値に当てはめてみたのだが、意外なことに平均値の範囲内に当てはまった学生はいなかった。つまり「平均的な手のサイズ」が存在しなかったということになる。
はたして、アメリカ空軍のパイロットの身体測定の結果はどうだっただろうか。ダニエルズは、四〇〇〇人を超える大量のパイロットの身体データに基づいて「平均的なパイロット」のサイズを算出しようと試みた。コックピットのデザインに最も関連性の高い一〇カ所の測定箇所について平均値を計算し、個別の測定結果と比較してみたのだが、ここでも衝撃的な結論を得ることになった。一〇カ所すべての値が平均の範囲内に収まったパイロットは存在しなかったのだ。
「平均的なパイロット」が存在しないということは、平均値に合わせてコックピットをデザインすれば、誰の体にも合わないコックピットができあがることを意味している。アメリカ空軍はこの結果を受けて、平均値を基準とするのではなく、パイロット個人の体のサイズに合わせてコックピットを調整することにした。
当初パイロット個人に合わせてコックピットを設計するなど不可能に思われたが、航空技術者は安くて簡単な解決策を見つけ出すことに成功した。それは今日では自動車にも採用されている標準的技術でもある。シートもヘルメットのストラップも飛行服も個人の体のサイズに合わせて調整可能なタイプに変更されたのだ。その結果、アメリカ空軍が抱えていた深刻な墜落事故の問題は解決に向かった。
「平均的な人間」という間違った概念の歴史は、天文学者アドルフ・ケトレーから始まった。
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