「好き放題すること」、これが著者ヨッピーの仕事である。銭湯のお湯に浸かった自分の裸体をインターネット上に掲載したり、あるいは千葉県の市長とゲームをしたりする。24時間テレビの100kmマラソンが本当に大変なのか試したこともある。
このように自分がやりたいと思ったことだけを企画し実行、そして記事として世の中に提供するのが著者の仕事だ。一見すると公私混同しているように感じられるかもしれないが、どれもれっきとした仕事である。取材の経費はもちろん、報酬も支払われる。現在の収入はサラリーマン時代の倍以上になり、逆に労働時間は半分になったという。
もちろん何もかもが思い通りにいくわけではない。「ハワイの溶岩でチャーハンを炒めると美味いのか」という企画が、「ただハワイに行きたいだけでしょ?」とクライアントに却下されたり、「東京から京都まで原付で行く」という企画が想像を絶するほど過酷で後悔したりしたこともある。
とはいえ、やりたいと思うことのほとんどは実現できているし、会いたい人にも会えている。気が進まない仕事をやる必要はないし、気の合わない上司もいない。ただ楽しい毎日を、楽しい仲間と過ごすことができている。これはまぎれもない事実である。
いまでこそ好きなことを仕事にして暮らしているが、大学卒業後に7年間従事した仕事は本当につまらないものだった。理不尽な仕事、非効率な会議、書類作り、そして規則。入社当初にあった意気込みも、萎れるまでにそれほど長くはかからなかった。
「組織の論理」を考えると、会社に所属しながらやりがいのある仕事をする難しさは理解できる。会社内に「この人にしかできない」という仕事があるなら、組織としてはその仕事を誰でもできるように仕組み化するだろう。誰か一人に頼らないといけないという状況を放置することは、組織にとってリスクだ。その解消を試みるのは当然である。
しかし「誰でもできる仕事」に対し、個人が情熱をもって取り組むことは難しい。自分にしかできないと思える仕事だからこそ、誇りをもつことができるのだ。そしてそのような仕事のほうが、得てして楽しいものである。
「組織の論理」と「個人のやりがい」は、本質的に対立するものなのだ。
幸せの形は人によって様々である。美味しいものを食べることが幸せな人もいれば、旅行が幸せという人もいるだろう。
しかしいずれの場合も共通しているのは、「笑っている」ことではないだろうか。つまり幸せとは、たくさん笑うことなのだ。そしてたくさん笑うためには、結局「誰」とかかわるのかが重要になってくる。
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