ひと昔前の日本では、個人の仕事人生は、「右肩上がりの単線エスカレータ」だった。
高度経済成長の時期は、国内に人口が多く消費が活発で、物をつくればつくるだけ売れる時代だった。市場が右肩上がりで膨らんだため、給与も年齢が上がるにしたがって上げていくことができた。かつての日本企業における生産性と給与の関係は、徐々になだらかになる生産性のカーブと右肩上がりの賃金のカーブが交差する、「ホステージ理論」といわれる。従業員は入社時、体力があり生産性は高いが、賃金が低い。しかし、加齢によって生産性が低くなっても、賃金は上がり続け、今度は過払いの状況になる。
これは、働く人にとっては「やさしいモデル」である。なぜなら、年齢が上がるにつれ、家庭や子どものためにお金が必要になるからである。一方で、定年までひとつの組織にいないと、賃金の取りっぱぐれになるので、ひとつの組織にホステージ(囚われ状態)になってしまうということもある。
しかし、現在の仕事人生は、単線エスカレータでも、右肩上がりでもなくなりつつある。実際、子育て世代への給料は下がっていっている。若い世代には、昔と同じような賃金が支払われない可能性が高い。さらに、健康寿命がのびているため、組織で過ごす時間よりも、働いている時間のほうが長くなる。
私たちがこれからの人生を完走するためには、一つの組織に仕事人生を「丸抱え」してもらうわけにはいかないのだ。
そこで重要になるのがリセットボタンである。私たちは、「キャリアの踊り場」や「方向転換のポイント」で、リセットボタンを押すことで、変わらなければならないときに変わることができる。
リセットボタンとは、かつてファミリーコンピュータ(任天堂)に付属されていた。ゲームを止めるための電源スイッチとは異なり、RESET(再びはじめなおす)ためのボタンである。仕事人生でリセットボタンを押すとは、単に「現在の会社を辞めること」ではない。それは、「現在の会社で働くことの意味や意義をいったん立ち止まって考え直すこと」を意味する。
リセットボタンを押すには、自分の状態をモニタリングして、過去を見える化し、意味づけて、未来のアクションをつくることが必要になる。これを「リフレクション」という。
中原は、リセットボタンを押すことを考えるための事例として、為末の競技人生をともに「リフレクション」していく。
為末は、小学生の頃から抜群に足が速く、何回か出場した大会ではほとんど一番だった。中学生になり、陸上を本格的に始め、中学2年生の時に100mで日本一になった。中学3年生の時には100m、200m、400m、走り幅跳び、三種目A・Bの合計6種目で日本一になるという快挙を成し遂げた。しかし、高校に入学し、陸上人生の最初の「踊り場」が訪れる。中学生時代で身体の成長が止まり、それにともなって100mの成績が頭打ちになってしまったのだ。また、肉離れのケガにも見舞われ、練習ができないという事態に陥った。
高校3年生の時に県大会に出場し、100mでかろうじて1位になったが、頭抜けて1位だった中学校時代に比べ、2位と差をつけられなくなっていた。そして200mでは1年下の後輩に抜かれ完敗してしまった。
そこで、陸上部の先生に促されて種目を100mから400mに変更することにした。結果はうまくいった。全国大会に出場し、好成績をおさめ、世界大会に出場した。
最終的に世界ジュニアの400mで4位に入賞するが、1位になったアメリカの選手には相当な差をつけられた。しかも、その選手の本業はアメリカフットボールであることを知り、為末は、現実に打ちひしがれてしまう。
失意のなか、世界ジュニアの競技場で400mハードルのレースをたまたま見たことが、転機になった。走っている選手はあまり上手に見えなかったが、その選手が世界1位になった。
為末は、「もしかしたらこの競技なら、足が速いだけではなく、もっと違う要素で勝てるかもしれない」と感じたという。400mハードルは、ハードル1台1台が走者のスピードを殺すため、素質よりもハードルへの対処の仕方が勝敗に影響を及ぼす。また競技人口も少ない。技術を習得すれば、日本人でも勝てる可能性があるのだ。
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