野村證券第2事業法人部

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野村證券第2事業法人部
出版社
出版日
2017年02月21日
評点
総合
3.3
明瞭性
3.5
革新性
3.5
応用性
3.0
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おすすめポイント

「天国地獄債」。著者の横尾宣政氏が野村證券時代につくった仕組債の名称だ。償還時の為替レートによって償還金額が変動してリスクが大きい分、表面利率が大きいためそう名づけられたという。この仕組はフランスの有名な賞を受賞し、日経新聞の1面をかざった。

天国と地獄――それは著者の歩みを暗喩しているようである。経常利益日本一だった当時の野村證券でも花形の「第2事業法人部」で活躍し、「コミッション(手数料)亡者」と揶揄(やゆ)されながらも圧倒的な成果を出した著者は、バブル期の野村證券で「いちばん稼いだ男」と呼ばれた。

一方で野村の「損失補填問題」の発端をつくり、社内で戦犯扱いを受けたこともある。コンサルティング会社を立ち上げ独立するも、オリンパスの巨額粉飾決算事件では「指南役」とされ、逮捕・勾留。一貫して無罪を主張し、現在も係争中だ。終章「逮捕――私は闘う」でも記載されているように、本書は司法、検察に対しての抗弁書ともいえる。

金融・証券業界では、出版前から「ヤバい本が出る」と話題になっていた。パワハラという言葉などなかった時代である。本書では「見てはいけない」ような光景が日常のように繰りひろげられていく。この大時代な様子を、読者はどのように受け止めるだろうか。大昔のモーレツ社員と笑うか、「今も同じ」だと青くなるか。

しかしその結末は悲劇だ。「現代の司法制度へ一石を投じる」ため書いたという著者。経済活動の陥穽(かんせい)を追体験することは、すべてのサラリーマンにとっての必要なリスクヘッジといえるかもしれない。

著者

横尾 宣政 (よこお のぶまさ)
1954(昭和29)年、兵庫県出身。78年に京都大学経済学部を卒業後、野村證券に入社。金沢支店を皮切りに、第2事業法人部、浜松支店次席、営業業務部運用企画課長、高崎支店長、新宿野村ビル支店長などを歴任。98年(平成10)年6月、20年にわたって勤務した野村證券を退社・独立した。
その後、コンサルティング会社グローバル・カンパニー・インコーポレートを設立し、社長に就任。ベンチャー企業の発掘、指導、投資などに携わる。2011(平成23)年に発覚したオリンパスの巨額粉飾決算事件では粉飾の「指南役」とされ、翌12年に証券取引法・金融商品取引法違反容疑で逮捕される。詐欺、組織犯罪処罰法違反の容疑も加えられるが、当初から一貫して容疑を否認。1審・2審で有罪判決を受け、現在、最高裁に上告中。

本書の要点

  • 要点
    1
    野村證券のメインエンジンである第2事業法人部に、著者は27歳の若さで抜擢された。そしてバブル期に日本一の経常利益をあげた野村で、エースとして大活躍した。
  • 要点
    2
    ニューヨーク株式市場の大暴落(ブラックマンデー)で、大損失を受けた会社の救済に著者は走り回った。しかし国税局に目をつけられ、第1次証券不祥事の発端をつくった「戦犯」と呼ばれるようになる。
  • 要点
    3
    野村退社後、著者はコンサルティングファームを立ち上げ、オリンパス子会社の資産運用に携わることになった。しかしいつの間にか粉飾決算に巻き込まれ、逮捕。現在まで係争中だ。

要約

ノルマとの闘い

都銀より清らかに思えた
maroke/iStock/Thinkstock

「エラいところに来てしまった」。1977年、京都大学4年生のころだ。就職活動中の著者は、三井銀行から内定をもらっていたものの、いわゆる「囲い込み」に疑問を感じていた。

そこで当時、神姫バスの専務だった父に相談すると、野村證券のある支店長を紹介され、その優秀さにほれこんだ。面接に行くと、出されたのはコーヒー1杯。「なんて清らかな会社だ」と感動し、証券自体にはまったく興味がなかったが入社を決めた。なお後に、このときコーヒー1杯しか出なかったのはたまたまだったということがわかる。

78年に入社した著者は、軍隊のように厳しい「野村イズム」の刷り込み研修を終えて、金沢支店(石川県金沢市)に配属された。直前の不祥事でぼろぼろの支店だった。

配属初日、先輩からはいきなり「今日から毎日、管内の社長の名刺10枚集めてこい」と言われ、入社をひどく後悔した。パワハラという言葉などない時代だ。

とんでもない場面に出くわしたこともある。ある日の応接室での出来事だ。ノルマを果たせない課長代理が、上司に怒鳴りつけられていた。その横には奥さんの姿があった。「こいつのために、みんなが迷惑してるんです。奥さん、どうにかしてください」。見てはいけないものを見た気がした。

ついたあだ名は「社長さん」

著者が入社した78年に、悪夢の投資商品が生み出された。表面利率6.1%の10年物国債、通称「ロクイチ国債」だ。政策金利の引き上げで利回りが急上昇し、額面に対する債券価格が大暴落したため、買った瞬間から値が下がり続ける代物だった。

この国債の販売に全力で取り組んだのが野村證券だ。こんな商品にノルマが課せられていては大変である。実際、同期の離職率は4割にも及んだ。しかし稼げば何でも許されるという能力主義の社風に、著者はマッチしていた。「土下座の横尾」と呼ばれるほどがむしゃらに働くうちに、どん底だった金沢支店も立ち直っていった。

驚くべきことに当時、営業マンは自分で客に勧める銘柄を決められず、各営業本部が決めていた。ほぼ同一の株価の銘柄を売り買いすることで株価を引き上げる、いわゆる「仕切り商い」だ。野村が取引手数料(コミッション)を儲けるためにつきあわされた客は、ほとんどが大損した。

こんなことを続けるうちに、「野村は絶対に潰すべきだ。それにはオレが社長になるしかない」と口走るようになった。周囲からは「社長さん」と呼ばれた。

「コミッション亡者」と呼ばれて

試し打ち人事
Wavebreakmedia/iStock/Thinkstock

「大栄転だ」。81年12月、金沢から異動となり、第2事業法人部に配属されることになった。著者は当時、まだ27歳である。通常なら2支店を経験した30代の社員が行く部署だ。ひどい状態だった金沢支店を立て直したことが、田淵義久常務(後に社長)によって高く評価された。

事業法人部は、第1と第2に分かれていた。人員はそれぞれ25人ずつで、両部で首都圏の上場企業とその子会社を担当する。その数は約1000社だ。まさに証券会社のメインエンジンともいうべき部署である。支店が客に販売する増資分の株式や、新規発行の転換社債(CB)、ワラント債(新株引受権付き社債、WB)を数多く入手するのがおもな仕事だった。

この花形部局で「コミッション亡者」と揶揄されながらも、著者は結果を出していった。

トリプルメリットとウォーターフロント

85年、プラザ合意による急速な円高により、日本の輸出産業は大きな打撃を受けた。この窮地に対して、野村は2つの戦略をしかけることにした。

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要約公開日 2017.12.21
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