誰もが「長生きの秘訣」を求めている。ただしそれは「元気な状態で」という条件付きだろう。寂聴氏も、88歳を過ぎた頃、入院や寝たきりの日々を経験し、95歳になった今は、長生きしすぎたかと切実に感じている。
それまでは、自分自身が老人である自覚さえなかったというが、圧迫骨折によって体が動かせなくなり、痛みと辛さに耐えることや人に世話をかけることが続いた。こんなことなら、88歳あたりでスッと消えてしまえればどんなによかったかという考えが頭をよぎったこともある。
しかし、私たちは自分の寿命を決めることはできない。人に迷惑をかける前に人生を終えたいと願っても、いつか来る死を事前に知る術はない。「人は自分の人生さえも自分でコントロールできない」、これが人間の根源的な「苦」であるとお釈迦様は説いている。この「苦」を、身をもって感じるのがだいたい88歳だと、寂聴氏は自らの経験をもとに語る。否が応にも肉体的に不具合が生じてくる、この年齢からが本当の「老後」であるといえる。
小説を書くために徹夜もいとわず、講演や法話で全国を飛び回る日々。そのような生活の中、寂聴氏は健康に気を使った記憶はあまりないという。むしろ、気を付けている暇はなかった。
しかし、20歳と51歳のとき、体に大きな変化をもたらした出来事があった。まず、20歳のとき経験した断食である。もともと体が弱いと自覚していたため、新聞広告で見つけた大阪の断食道場の門を叩き、そこで40日間過ごした。断食によって体の毒素が全て排出される。それはまるで、細胞1つ1つが入れ替わったような感覚だった。そして断食後は、極端な偏食もすっかり治ってしまったそうだ。当然、断食には危険が伴うこともあり、全ての人に適しているわけではないが、寂聴氏にとっては良い結果となった。
もう1つの出来事が、51歳のときの「出家」である。僧侶としての修業は、毎日30キロの山道を登り降りする「三塔巡拝」や、全身を何百回と床に投げ出す「五体投地礼(ごたいとうちらい)」などの荒行があり、想像以上に過酷だった。こうした荒行を経て、全身はより一層丈夫になった。普段から足腰を鍛え、基本的な体力をつくることは重要なことだ。
また、好きなものを好きなだけ食べることも、寂聴氏にとっては外せない健康法だ。もちろん、医者のアドバイスには耳を傾けるが、自分の体の声にも従う。肉を好きなだけ食べることが寂聴氏の元気の源であるように、人それぞれにふさわしい食生活をすることが大切である。
病や老い、そして死と同様、人は生まれることについてもコントロールできない。自分の命は、自分の意思で生み出したものでなく、授かりものである。
人は生まれた瞬間、死に向かって歩き始める。幼くして命を落としてしまう子もいれば、80歳、90歳と長生きできる人もいるが、死はいつか必ずやってくる。それがいつかわからないからこそ、一日一日、一瞬一瞬に目を向け、大切に生きるべきである。
「過去を追ってはならぬ。未来を願ってはならぬ。過去はすでに捨てられ、未来はまだ来ていない。」これは『一夜賢者の偈(げ)』というお経の一節である。過ぎ去った過去ではなく、まだ見ぬ未来でもない、今この瞬間を一生懸命生きることで悔いのない人生を送ることができる、と諭している。
もし、「老後」と呼ばれる年齢まで生き抜くことができたら、それだけでもう十分に恵まれているのだ。せっかくいただいた命を大切に、周りの意見を聞くのもほどほどにして、自分らしく生きていけばよい。
寂聴氏が歳をとったなと感じるとき、それは、昨日できていたことが今日にはもうできないと自覚するときである。たとえば、日課であった朝の散歩も今では辛くてとてもできない。庭に出るのもままならないという。
現在、世の中で問題になっているのは、平均寿命と健康寿命の差だ。日本人の平均寿命が80歳を超えたのに対し、健康寿命は70代に留まっている。つまり、多くの人が人生の最後には不自由な状態で過ごさなければならないということだ。
3,400冊以上の要約が楽しめる