「天才」と呼ばれた加藤一二三自身が、「天才」と認める棋士がいる。一人はすでに他界している故・大山康晴十五世名人。もう一人は現役の羽生善治二冠(2017年9月時点)だ。
「天才」棋士には3つの条件があるという。1つ目は、未知の局面でも瞬時に100点の手を思いつき、早指しをものともしない。同時に、長考を経てさらに良い手を見出すことができる。無から有を生み出し、後輩たちが続いていく道をつくり出す力があることである。2つ目は、長期間活躍し、驚異的な勝利数や新記録を次々と作り出すこと。3つ目は、挫折や劣等感がほとんどない、もしくは周りからは感じられないことを挙げている。
加藤自身も、まさしく前述の条件を満たす「天才」棋士であったが、長い現役生活の末に引退の日はやってきた。負ければ引退が決まる対局は、2017年6月20日に予定されていた。事前にマスコミ各社に、この日の対局では記者会見をしないことを伝えた。63年間の棋士人生の中で、加藤は一度も負けた場合のことを考えたことがない。そのため、この日についても、負けた場合の対応は全く考えないと決めていた。
しかし、対局が始まり、やがて必至(必ず負けてしまう状況)になった。報道陣は詰めかけていたが、まずは長年苦楽を共にした妻に感謝すべく、加藤は報道陣を避けて自宅に帰宅した。
引退が決まった対局の翌日、加藤は棋聖戦で飯島栄治七段と対局して勝利し、最高齢勝利記録を達成した。引退は将棋界の制度によるが、それがなければずっと戦い続けていただろうと加藤は語る。スポーツの一流選手は「体力の限界を感じて引退します」などという人が多いが、加藤は「制度によって引退しました」と言っている。
将棋界には名人を決める、総当たりの順位戦がある。全棋士はA級、B級1組、B級2組、C級1組、C級2組の各リーグに所属し、戦績によって昇降級する。A級優勝者が名人位に挑戦することになる。そして、C級2組に所属する者は、リーグの勝敗次第で引退する決まりになっている。
加藤は昭和57年に名人位に就いた。その後、A級からC級2組に降りてくるまでに50数年かかっている。それを、自ら「一歩一歩着実に挑戦を続けながら降りてきた」と述べる。B級1組からA級に上がったことが5回あり、最初の昇段を除くと4回の復帰を果たしたことになる。14歳から77歳まで、全棋士中1位の対局数となる、2505局もの対局を戦った。A級在位は36期で、これは大山康晴棋士に続く、2番目の記録である。
名人戦の決戦前夜、キリスト教の信者である加藤は、枕元で旧約聖書をパラパラとめくっていた。そのとき、「戦うときは勇気をもって戦え、敵の面前で弱気を出してはいけない、あわてないで落ち着いてことを進めろ」という言葉を見つけた。
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