人生において、「好きなことをやる」のが一番生産的な生き方である。そんな中で、「一つの仕事に一生懸命打ち込め」という発想は、まさに時代遅れでしかない。著者たちが提案するのは、個々人が「働き方ポートフォリオ」を作ることである。「これは稼ぐための仕事、これは人脈のための仕事、これは勉強のための仕事」といった具合に、仕事ごとに意味を分散させるのである。
多様な働き方を認めるということは、自由な生き方を認めることとほぼ同義だ。世の中には、派遣労働のほうが都合がいいという人がたくさんいる。「正社員だからハッピー」という大企業エリート信仰は、もはや過去の発想といえる。
働き方の生産性向上を阻害する最大の要因は、終身雇用と年功序列を前提に作られた制度だ。特に解雇条件が強すぎることを著者両氏は問題視する。労働争議で解雇が撤回されたとたん、会社が潰れた事例もある。正社員も、自分の属する会社で失敗すれば、やり直しが効かないというリスクを抱え込んでいる。こうした時代遅れの制度のせいで、労使ともに不利益を被っている。
終身雇用や年功序列、そして退職金制度。これらは「日本型経営」と呼ばれているが、実は戦後にできた新しい制度に過ぎない。
まだ高校や大学のような高等教育がしっかり機能していない時代、企業は可能性のある若い人を多く採用し、自ら社内で教育をした。これが人材を囲い込むという、現行制度の導入につながった。
ポイントは、自由な働き方を認めたうえで、個々人の働き方に不平等がないようにすることである。政府の掲げる「同一労働・同一賃金」という目標は間違ってはいない。ただし、「正しい働き方」は政府任せで決まるものではなく、自分で決められるべきものだ。
正社員でなければ、厚生年金や企業年金の恩恵を充分に享受できないといった、制度的な不平等は是正されるべきである。ところが、財界はもちろん労働組合も、非正規の待遇を向上させることで、自分たちの待遇が引き下げられるおそれがあるとして、この是正に反対している。もはや「労・使対立」ならぬ「労・労対立」ともいうべき様相を呈しているのだ。
日本では、いまだ失業や転職、非正規になることに対する恐怖心が強い。それに対して、究極のセーフティネットを提供するのがベーシックインカムである。
一定以上の所得がある人は、所得の何割かを払う。これが従来の所得税である。一方、所得が一定額より少ない人に関しては、所得税を給付する。つまり「負の所得税」を課して、日本人として最低限の所得を政府が保証する。このようなセーフティネットを整備したうえで、思い切って働き方改革をやっていくのが望ましいというのが本書の見解だ。
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