チャップリン自伝

若き日々
未読
チャップリン自伝
チャップリン自伝
若き日々
未読
チャップリン自伝
出版社
出版日
2017年04月01日
評点
総合
3.7
明瞭性
4.0
革新性
3.5
応用性
3.5
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おすすめポイント

チャールズ・チャップリンといえば、数々の傑作コメディ映画を創りあげた人物として、知らぬ者はいないほどの著名人だ。その華々しい姿を知っている人も多いだろう。だが実際のところ、チャップリンの幼少期は困難の連続だった。この自伝を読むだけでも、相当な苦労人だったことがうかがい知れる。

「成功者が昔すごく苦労していた」という話は、一見するとありがちなパターンかもしれない。しかしながらチャップリンの物語は、少なからず私たちに感動を与えてくれる。なぜなら数多くの挫折を経てもなお、彼は夢に向かって立ち向かっていくからだ。その生き様には「不運つづきの状況でも、かならずどこかで幸運に転じる」という確固たる信念が垣間見える。そして実際、チャップリンは不運ののちに幸運を手につかんだ。その生き様はこれからも、私たちに大いなる勇気を与えてくれるはずだ。

チャップリン没後40年を記念して出版されたこの新訳は、『チャップリン自伝――若き日々』『チャップリン自伝――栄光と波瀾の日々』の2冊に分かれている。要約では前者のうち、チャップリンが子どもだった頃からアメリカへの切符を手に入れるまでをまとめた。読みごたえたっぷりの内容なので、ぜひ2冊とも読んでみられたし。

ライター画像
金井美穂

著者

チャールズ・チャップリン (Charles Chaplin)
(1889-1977)
ロンドン生れ。両親とも芸人。母の代役として5歳で初舞台。ヴォードヴィルのカーノー一座と共に渡米。1913年キーストン喜劇映画会社に入り、浮浪者スタイルや、笑いと涙、風刺と哀愁に満ちた作品で卓越した評価を受ける。’52年赤狩りで米国を追われ晩年はスイスに居住。主な作品に「キッド」「街の灯」「殺人狂時代」等がある。’75年3月には英国王室から大英帝国勲章第二位(ナイト・コマンダー)を授与される。

本書の要点

  • 要点
    1
    チャールズ・チャップリンは、1889年生まれの南ロンドンっ子である。兄が一人いる。幼少のころに両親は別居し、生活は困窮。救貧院を出たり入ったりの生活だった。
  • 要点
    2
    両親が女優と寄席芸人だったため、チャップリンは幼いころから演芸の世界と関わっていた。新聞売りなどで食い扶持をつなぎながら、俳優になるという夢に向かって挑みつづけた。
  • 要点
    3
    舞台は成功することもあれば、失敗することもあった。穴があったら入りたいほどの失敗を経験したこともある。だが失敗を重ねたことで、自分の適性が喜劇役者にあることを見いだせた。

要約

チャップリンと家族

出自
zimmytws/iStock/Thinkstock

チャールズ・チャップリン(以下、チャップリン)は、1889年4月16日にウォルワースのイースト・レーンで生まれた。「イースト・レーン」とは地元住民の呼び名であり、正式な地名は「イースト・ストリート」である。チャップリンは南ロンドンっ子だった。

一家はチャップリンが誕生したすぐあと、ランベス地区にあるセント・ジョージズ・ロードのウェスト・スクエアに引っ越した。このときはまだそれなりに豊かな暮らしをしていた。母親は毎週日曜日になると、兄のシドニーとチャップリンを着飾らせ、ロンドンの街に出かけたものだった。

母親は劇場でバラエティショーの侍女役を演じる花形女優だった。父親は評判の寄席芸人だったが、あまりにも酒癖が悪く、チャップリンが1歳のときに別居した。そのため母親は、劇場で働きながら二人の子どもを育てることになったのだが、このころは父親から扶養手当をもらわなくても、じゅうぶんにやっていけるほどの稼ぎがあった。

初舞台

チャップリンの初舞台は予告なしに突然やってきた。それは母親の舞台を袖で見ていたときのことである。母親が突如袖に引き下がってきた。もともと喉が弱かった母は、風邪を引いて喉に炎症を起こしたまま舞台に出つづけていた。だがとうとう声がかすれてしまい、演技を続けられなくなってしまったのだ。観客は野次を飛ばして騒ぎ立てた。

困った舞台監督はチャップリンの手を引き、舞台に引き上げた。その監督は以前、チャップリンが母親の友人の前で演技したのを見ており、舞台の穴埋めをさせようとしたのだった。チャップリンがわずか5歳のときのことである。

何の打ち合わせもなく、観客の前に引きずり出されたチャップリンだったが、彼は臆することなく歌った。するとほどなくして観客から御祝儀がたくさん舞台に投げこまれた。チャップリンはすぐさま歌うのをやめて、観客にこういった。「お金を拾いおわったら、また歌います」。これが観客にウケた。

そのあとも堂々たる姿で踊ったり物まねをやったりして、チャップリンは観客を爆笑の渦に包みこんだ。これがチャップリンにとっての初舞台だった。そしてそれは同時に、母親の最後の舞台だった。それ以降、一家の暮らしぶりは困窮を極めていく。

救貧院から一家離散へ
Marcasia/iStock/Thinkstock

母親は体調を崩して劇場の仕事を失ったあと、新しい勤め先を見つけられなかった。父親からの仕送りも途絶え、生活資金が底をつく。窮地に追いこまれた一家は、ついにランベス区の救貧院に入ることを決心した。

救貧院では母親は女性棟へ、子どもたちは子ども棟へ入れられた。一家は引き裂かれたのだ。その悲しみが癒えぬうちに、チャップリンと兄のシドニーは、ロンドンから20キロ離れたハンウェル孤児・貧困児学校に入れられることになり、さらに母子は遠く引き離されてしまう。

チャップリン一家はその後も、救貧院を出たり入ったりしながら暮らしていた。そんなある日、母親がケイン・ヒル精神病院に収容されたと知らせを受けた。チャップリンは泣きこそしなかったが、何が起こったのかすぐには理解することができず、ただただ絶望を感じていた。

父親のもとへ

自分の母親が精神病院に入ってしまったのは、チャップリンにとって絶望をもたらしたが、それは父親と一緒に暮らすという機会ももたらした。

裁判所の命令により父親と暮らすことになったチャップリンたちを待ち受けていたのは、ルイーズという女性とその息子だった。彼女たちにとってチャップリン兄弟は、「内縁の夫の別居中の妻の子」である。歓迎されるはずもない。このころは人生でもっとも悲しい時期だったという。

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要約公開日 2018.06.09
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