私たちが教わってきた貨幣の歴史。それは、そもそも物々交換があり、その不便さを解消するために貨幣が生まれたというものであった。しかし、最近では、その起源は互いの貸借の記帳(記録)にあったという説が有力である。
この説を象徴するのが、ミクロネシアのヤップ島という、小さな島に残る巨大なフェイという石だ。島の住民は、互いにもらったもの、あげたものの記録をこの石に刻んでいった。現物の価値ある資産がなくても互いを信用し、記録する。こうした記帳が貨幣の起源だという。
さらに面白い動きがある。それはフェイの記帳の仕組みが、今、世界規模に広がっているということだ。それがビットコインをはじめとした仮想通貨であり、そのベースとなっているブロックチェーンである。
では、記帳はどのようにして現在のような貨幣に変わっていったのだろうか。これには二つの道筋がある。一つは、庶民の生活のなかで、より汎用性の高い、つまり多くの人が価値を認めるものが自然にお金になったというボトムアップの道筋だ。木屑よりも木、木よりも森のほうが高次で、その頂点が金(ゴールド)ということになる。
もう一つの道筋は、商人が王様の権威を借りて、より広い範囲で流通する貨幣を発行するようになったというトップダウンの道筋だ。これは現在の中央銀行の始まりである。いまだ国の権威が各国の通貨を支えていることに変わりはない。
そもそもお金とはどう定義できるのか。著者はそれを譲渡可能な信用、あるいは外部化された信用と定義する。そして、信用を裏付ける者を「信用の母体」と呼ぶ。現在ではそれが国家ということになる。
著者によれば、人間とは「分業と取引によって栄え、『違い』と『社会』によって補完しあうことを選択した種」だという。そのような種にとって、自分と違う人を信用し、取引することを可能にした信用取引(お金)という仕組みは、最高の発明だったのである。お金は互いの個性を発揮し、分業してゆくための最適なメディア(交換媒体)ということになる。
お金(通貨)の価値は、使っている人の数×発行している母体の信用、すなわち「汎用」×「信用」と定義できる。それでは信用とは何か。
3,400冊以上の要約が楽しめる