宇宙飛行の実現に大きく貢献し、「ロケットの父」と呼ばれるのが、マサチューセッツ州出身のロバート・ゴダードだ。しかし、ロケットを発明したのは彼ではないし、そもそも、彼のロケットは宇宙に届きすらしていない。
彼の第一の功績は、ロケットを使えば宇宙に行けると気付いたことだ。当時、ロケットは、600年前の廃れた技術だと認識されていた。そんな前時代的な技術で宇宙に行けるとは、誰も思っていなかったのだ。
彼の第二の功績は、ロケットを宇宙へ飛ぶ乗り物に生まれ変わらせたことだ。現代でも採用されている、液体燃料ロケットという形を採用したのはゴダードである。
フォン・ブラウンはドイツに生まれ、ベルリン工科大学に学んだ。彼は、若者たちが結成したアマチュアロケット・グループVfRに加わり、日夜ロケットの開発に取り組んだ。
彼らの活動に関心を抱いたのが、ドイツ軍だった。なぜなら、人工衛星を積んで宇宙に打つのではなく、爆弾を積んで敵国へ打てば、ロケットは兵器になるからだ。兵器を作りたい軍と、開発資金を求めるフォン・ブラウンの利害が一致し、彼は陸軍に雇われる。こうして彼は、本格的な液体燃料ロケットの開発に取り掛かることとなる。
彼が軍に雇われた翌年、ヒトラーが首相に就任し、やがて世界大戦が始まった。その間もフォン・ブラウンはロケット開発に没頭し、11年をかけて「A4」と呼ばれるロケットを完成させる。これは、高度200kmの宇宙空間に達する能力を持つロケットである一方で、320km離れた標的に1トンの爆弾を命中させられるミサイルでもあった。
このとき、ドイツの勝利は絶望的だった。しかし、ロケットこそが戦況を逆転する最終兵器になると確信したヒトラーは、A4に優先的に資金と物資を供給することを約束し、ひと月あたり1800機のA4を製造することを命じたのだった。そしてA4は、「報復兵器2号」を意味するV2という名前を授けられる。
終戦を迎えると、フォン・ブラウンは、ロケットの技術をアメリカ軍に売り込んだ。彼は受け入れられ、124人の技術者とともにアメリカへと渡る。
アメリカがフォン・ブラウンを欲しがったのと同様、ソ連もまた、彼の技術を欲しがっていた。結局、ドイツに残されていた部品や書面、図面、技術者はソ連の手に渡ることとなる。
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