いま日本の学校教育が大きく変わろうとしている。先生が一方的に説明し、子供たちが教科書やノートの内容を覚える「受動的な学び」から、子供たちが主体的に考えたり、グループ内で意見を交換しあったりすることで、各自が学びを深めていく「能動的・主体的な学び」へと変化しようとしているのだ。パッシブからアクティブへ、学びは「アクティブラーニング」へと移行しようとしている。
「アクティブラーニング」とは、さまざまな活動や体験を取り入れることも含め、アクティブな視点で学習者の主体的・能動的な学びを促進し、深めていくこととされる。なおここでいう「アクティブな学び」には2つの意味がある。能動的・主体的な学びと、活動的な学びだ。両者は当然のように結びつけられ、活動的な学びをおこなえば、子供たちは能動的・主体的な学びができるという意識がそこにはある。
アクティブラーニングはもともと、一部の教育現場でおこなわれていた自主的な取り組みだった。しかしある時期から、教育政策として実施されるようになったという経緯をもつ。
「アクティブラーニング」という言葉が国の教育政策のなかではじめて使われたのは2008年のことだ。当初は大学の授業について述べられたものだった。
その後一度この言葉は削除されるものの、2012年に中央教育審議会の答申でふたたびあらわれ、大学の授業のあり方そのものを見直すきっかけとなった。社会が国際化・情報化していくなかで、生涯にわたって学びつづける力、主体的に考える力をもった人材の育成が急務とされたのである。
この背景には経済界からの影響もあった。バブル経済の崩壊後、企業は人材育成の余裕をなくしており、その対策として大学での「即戦力」の育成が期待されたわけだ。
小学校から高校までのアクティブラーニングが提言されたのは2014年のことである。この時点で小学校から大学までの教育を、一貫してアクティブラーニングへと転換する動きが始まった。小学校から高校までの教育においては、各教科における基礎的な知識の習得をもとに、思考力・判断力・表現力の育成をめざすとされ、そこには「豊かな人間性」といった道徳的な内容も含まれた。
小学校から高校までの教育現場において「アクティブラーニング」は、「体験・活動中心の授業活動」と捉えられた。討論や校外活動を取り入れ、挙手や発言の回数を評価するような、形式的な方法ばかりが注目されたのだ。これは「活動あって学びなし」などと批判されることになる。
こうした批判への対応として、アクティブラーニングは教育方法の「型」ではなく、授業改善のための「視点」であることが強調された。そして「アクティブラーニング」に代わり、「主体的・対話的で深い学び」というキーワードが使われるようになる。2016年の答申では、「アクティブラーニング」は具体的な方法論から、目標・内容・評価を一体化した学びの「視点」へと変更された。この「視点」への転換により、以下の問題が明らかになった。
第一に、カリキュラムの構成に無理が生じた。各教科のみならず教科外活動、さらには部活動についても「主体的・対話的で深い学び」をめざす、という強引さだ。
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