紀元前、まだローマ帝国が覇権を握る前に、地中海域で栄えた民がいた。それがフェニキア人だ。
フェニキア人はクレタ文明、ミケーネ文明が後退した前1200年頃より、交易と海運業を営み活躍していた。彼らは古代アルファベットをもとに、現在のアルファベットの基礎となる線状文字を作り、さまざまな民族と意思を通じ合わせて交易をおこなっていた。
東地中海岸を根拠地とするフェニキア人は、前12世紀には地中海の物流をほぼ独占。交易範囲は広がり、全盛期には西アフリカや紅海を経て、インド洋にまで及んだという。
彼らはレバノン杉(現在のレバノンに生えていた杉)を商材に海運事業を発展させ、地中海域にいくつも都市国家を築いた。なかでも有名なのは、東地中海岸にあるシドン、ティルスである。ティルスはイスラエルと友好的な関係にあった。とくにソロモン王の時代(前10世紀頃)、ユダヤの神ヤハウェの神殿建設に向けて、フェニキア人は建設資材である良質のレバノン杉を大量に提供。イスラエルとより強固な関係を築きあげた。
ティルスは前8世紀、植民市カルタゴを建設した。カルタゴは現在のチュニジア共和国のチュニス付近にある、ティルスのなかでもっとも重要だった植民市である。地中海貿易網の中央部にあるカルタゴは、前6世紀には貿易の中心地となった。前4世紀にティルスがアレクサンドロスに征服された際には、多くのティルス市民が移住し、それからは商業国家としても繁栄した。彼らの物流は遠く北海にまで達したという。
カルタゴはさらにシチリア島など、現在のイタリアの諸島にも手を伸ばした。だがその結果ローマと対立し、ポエニ戦争(前264~前146)が勃発。三度の戦いでいずれもローマが勝利し、西地中海はローマの手に墜ちた。
ローマ勝利後、アフリカ北岸はローマ領となり、多くの奴隷がイタリアに運ばれた。さらにアフリカの属州から穀物を輸入するようになったのだが、このルートはおそらくカルタゴの物流システムを受け継いだものだろう。当時のヨーロッパには航路というものがなく、さらには造船技術や航海技術もなかったからだ。ローマが地中海をまたぐ帝国に成りえたのは、フェニキア人の物流ルートを利用できたからに他ならない。
622年、ムハンマドにより創始されたイスラーム教は、あっという間に周辺地域へ広まった。ムハンマドの後継者による「正統カリフ時代」には、ジハード(聖戦)がくりかえされ、その範囲はシリア、エジプト、イランにまで及んだ。
この急速な発展の裏には、ムハンマド時代とは異なり、部族的な結びつきが否定され、人間の平等が説かれたことがある。さらに後のアッバース朝(750~1258)になると、それまであったアラブ人の特権も廃止され、民族を問わない世界宗教に成長した。
アッバース朝は最盛期、中央アジアまで領土を広げ、インド洋の物流も支配するようになった。ムスリム商人はダウ船と呼ばれる帆船でインド洋を航海。香辛料、金、宝石、木材、象牙などをインド洋周辺の熱帯諸地域からもち帰り、それらと引き換えに自国や地中海沿岸で取引された衣料、敷物、陶器などをもちこんだ。
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