著者は幼いころから発達障害を抱えており、一言でいうとドンくさい子どもだった。集中すると他の音が聞こえなくなってしまう特性のせいで、小学校3年生でクラス中から無視されるいじめにあってしまう。
また女癖の悪い父はめったに家に帰らず、家族に暴力をふるうことが日常であった。小学校高学年になる頃には母も家を空けるようになり、著者は孤独を抱えると同時に、その孤独を両親に埋めてもらうことはできないと悟るようになる。
「人に期待しないこと」「孤独を必要以上に感じないこと」を処世術として学んだ著者は、一人で強く生きようと心に誓った。
「いい大学に行って、いい仕事につけば幸せになれる」という母の言葉に、著者は反発していた。両親はともにいい大学を卒業していたが、けんかが絶えなかった。そうした姿を見て、学歴や給料が人を幸福にしてくれるわけではないと確信していたのだ。
著者は11歳のときに家庭からの自立を求めて必死に勉強し、全寮制の中学校に入学。しかしまたもいじめにあい、結局2年で公立中学に転校する。その後も勉強についていけず、偏差値の低い公立高校へと進むと、今度は不良たちに絡まれた。アルバイトを始めても人間関係がうまくいかず、職場を転々とする。さらに父の再婚で、継母からも心理的虐待を受けるようになった。
著者はある時、なぜ普通の家庭に生まれることができなかったのだろうと考えた。しかし生まれた環境のせいにしても何も状況は変わらない。運命に抗い、自分をいつもバカにしてきた人々に「復讐」するため、人の痛みがわかる立派な人間になりたいと、いつしか願うようになった。そしてこれまでの自分とは別の人生を歩むため、東京で大学生になることを思いつく。
中学から勉強をしておらず、そもそも勉強の仕方がわからなかった著者は、高校3年で予備校の門をたたく。しかし大手予備校では初級クラスにもついていけず、0から教えてくれると期待した別の予備校では、面談時に「風紀が乱れる」と一蹴されてしまう。
ほとんど受験を諦めかけた高校3年生の秋、9.11の同時多発テロ事件が起こった。テロの報復としてアフガニスタンが空爆された時、アメリカの学校で「アフガニスタンの人が多少死んでもしょうがない」と生徒たちが答えていた報道を見て、幼いころから不条理に敏感だった心が刺激された。
自分の力ではどうにもならないものに翻弄されている人々に対して、何かすべきだと考えるようになった著者は、国際関係を学ぶため、必死で勉強することを決意する。
勉強の甲斐あって、その年の大学受験では私立大学1校に合格。「やればできる」と自信をつけた著者は、希望通りの大学に合格するために留年した。アフガニスタンの空爆をきっかけに国連に興味をもったため、志望校を東大とICUに定める。
1日13時間、休憩する間も惜しんでひたすら勉強に打ちこんだものの、勉強の効率は悪かった。そこで進学校に通う弟に教えてもらい、勉強法を習得。勉強に疲れた夜は、哲学・社会学・政治学などの読書で、知識や読解力を鍛えた。
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