2012~2018年の間に発売されたマツダの車(通称「第6世代」)は、どれも似ている。そう聞くと「個性がない」という印象を抱くかもしれない。しかしむしろマツダのクルマは、昔から「個性」が売り物だ。印象的なデザインの「赤いコスモ」、昭和のマツダの代表格ともいえる「サバンナ RX-7」、1980年代に出て最初に日本カー・オブ・ザ・イヤーをとった「赤いファミリア」、オープンカーブームを作った「ユーノス・ロードスター」など、マツダからは「記憶に残るクルマ」が数多く生まれている。
しかし金井誠太元会長(以下、金井氏)は当時、技術者としてマツダの「個性」溢れるクルマを誇らしく思う一方で、歯がゆくも感じていた。たとえば「ルーチェ」という車種の場合、1代目は欧州車らしいデザイン、2代目はマッチョな米国車のような外観、3代目はヨーロピアン調と、振れ幅が極端に大きかった。「個性」を求めた結果とはいえ、これでは「ルーチェ」がどういう商品なのかが伝わらず、継続的なファンも生まれにくい。さらにエンジニアが「個性」にこだわるあまり、共有しても差し支えのないパーツまで新規に開発し、無駄につながったことも多々あったそうだ。
「個性」重視で成功体験を積み上げてきたマツダだが、バブル時期の自動車市場の拡大にも支えられ、フルラインアップ化も試みていた。企業体力に大きな差があるトヨタや日産と張り合うためだ。金井氏は当時の様子について、「会社の方針が定まっていなかったがために、どの部署も本来の力を発揮できていない状態だった」と振り返る。
こうした状況を変えるため、金井氏は2005年に「マツダが目指すクルマは、インコース高めのストライク」と宣言した。この発言の背景には、それまで無秩序に「個性」を追求してきた社内の雰囲気を変え、マツダとしての統一した「個性」をつくりあげるという狙いがあった。
この方針に沿って開発されたのが、前述した第6世代のクルマだ。だからこそ金井氏にとっては、「マツダだとわかるが車名がわからない」という声は褒め言葉なのである。
マツダがすべてを新規で造る「オールニュー」を好んでいた頃は、新技術の提案が通りやすかったと金井氏は振り返る。だがぽっと出の思いつきだと、なかなかその後「残る技術」にはならない。入念に計画せずに走り出してしまい、設計が基本から間違っていると判明することもままあった。
その結果が、たとえばユーノス800開発の大幅な遅延につながった。新技術をふんだんに取り入れたものの、バブル景気が去ってからの発売となってしまったのだ。クルマ単体としては評価されたものの、この頃から金井氏は「売れないクルマを一生懸命開発するのは虚しい」と思うようになったという。
マツダの拡大策は破綻し、大幅な値引きで台数を支えることになった。値引きに釣られてマツダ車を買うと下取りが安く、結局は相対的に高く買い取ってくれるマツダで買い替えるしかなくなる。いつまでも安いマツダ車にしか乗れない状況を指し、「マツダ地獄」という不名誉な言葉も生まれた。
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