コンピュータゲームの歴史はイノベーションの歴史でもある。1970年代、コンピュータマシンといえばピンボールマシンぐらいしかなかったが、その後めざましい進化を遂げ、より多くの人に親しまれるようになった。
「昨今のゲーム業界はグラフィックの改良に取り組んでいるだけだ」とよく指摘されるが、実際は新たな価値観も生み出している。たとえばオンラインモバイルゲームは、「ゲームは特定のマニアだけがやる」というゲーム文化を再定義した。コンピュータゲームにおける変化の軌跡を辿ることは、デジタル文化におけるイノベーションの社会的意義を分析するうえでも不可欠だといっていい。
21世紀の文化としてコンピュータゲームと同じぐらいに重要なのが、スポーツ参加および観戦である。その経済規模は年々大きくなっており、アスリートの価値も向上。アスリート名をライセンス契約することの意味も大きく変わった。スポーツの発展が、商業的な要因に影響を受けているのは疑いの余地がない。
しかしそれでもプロスポーツが「文化活動」といえるのは、プロアスリートたちが歴史をつくりだす力をもっているからだ。彼らは能力の限界を超えるべく、日々努力を重ねている。そしてパフォーマンスを向上させるため、ウエアラブル端末などの最新機器も積極的に活用する。テクノロジーは身体化され、かつて対極に位置するものだと考えられていたスポーツ文化とデジタル文化は、いまこれ以上ないほどに接近している。
デジタルテクノロジーとスポーツの関係を理解するうえで、オリンピックの歴史を知ることは欠かせない。そもそも近代オリンピックはスポーツの祭典というだけでなく、その思想的・社会的意義を追求するものでもあった。
「卓越した能力」を奨励するというオリンピックの目標は、スポーツ以外の面にも全面的に採用されており、たとえば「文化オリンピアード」(オリンピック開催中、開催都市で催される文化の祭典)では、世界一流のアートの展示をめざしている。最近では最新テクノロジーの展示という色合いも強まってきた。
ここから見えてくるのは、アスリートが人間そのものの進化を、デジタルテクノロジーが人間の科学技術の進化をあらわすという思想だ。オリンピックという文化は、スポーツとデジタルテクノロジーが不可分の関係にあることを雄弁に物語っている。
スポーツ文化とデジタル文化の研究に共通するテーマに、「リアルさ」への関心がある。スポーツは「社会の規範と仕組みの外で行われるもの」として、リアルではないと見なされることが少なくない。一方でスポーツを通じて、社会参加の機会を得る人がいるのもたしかだ。しかもスポーツには、社会的・政治的な変化を生み出す力がある。
デジタル世界についても同じようなことがいえる。デジタル世界は基本的に「リアルではない」と見なされている。しかし今日の人々にとって、オンラインでの生活はオフラインでの生活と同じくらい当たり前のものだ。
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