オープンダイアローグは、1984年、もともと統合失調症の治療法としてフィンランドで開発された。ほとんど薬も飲まず入院もせずに、対話を行うだけで統合失調症の初期段階にある人の症状を劇的に改善したことで注目を集めた。
オープンダイアローグは、高度で複雑な技法ではない。いたってシンプルなものだ。基本的な考え方を理解し、一定のやり方に従って対話を実践していけばよい。オープンダイアローグを生んだ、フィンランドのケロプダス病院の治療スタッフは、「オープンダイアローグは技法や方法論ではなく、考え方、生き方のようなものです」という。
ダイアローグの思想を生んだのは、ロシア(旧ソビエト連邦)で生まれたミハイル・ミハイロヴィチ・バフチンさんだ。オープンダイアローグの理論にも、バフチンさんの思想が全面的に取り入れられている。
バフチンさんの主張の根幹であり、オープンダイアローグの理論的な支柱にもなっているのが、「ダイアローグの思想(dialogism)」である。自己は、自己だけでは存在できない。他者の存在が必要だ。わたしたちは、自己を他者の目で見つめ、評価することで、日々生活をしている。他者を通じて意味づけられることで、自己が生みだされているのだ。自己の存在とはすなわち、他者と対話的に交流することなのだ。
対話は、ことばで行うこともあれば、口に出さずに態度で示すこともある。また、外の他者だけでなく、内なる自己とのあいだでも行われる。書かれたことばであるテキストも、一種の対話だ。
生きるとは、こうした対話に参加することであり、尋ね、耳を傾け、答え、同意したりすることなのだ。人は生きている限り対話を続ける生き物である。
本書で扱われるオープンダイアローグは、精神療法で実践されているものとは異なり、ビジネスにおける広義のオープンダイアローグだ。ここで用いる「オープン」とは「壁をつくらず、とらわれず」ということであり、「ダイアローグ」とは「問うて気づき、応えて学び合う」ということである。
ダイアローグということばは、ギリシャ語のディアロゴス(dialogos)に由来している。Diaは、しばしば“ふたつ”という意味と説明されるが、ここでは“~を通して”“~のあいだにおける”といったニュアンスだ。Logosはことばを意味し、このふたつを合わせたdialogosは、人と人のあいだにおけることばという意味になる。
ダイアローグは、通常「対話」と訳される。ただしこの言葉は、ふたりで行われるものに限らない。3人以上のグループで話し合うことも、ひとりの内なる自己と話し合うこともダイアローグである。
ビジネスのコミュニケーションには、会話や議論などがある。これらとダイアローグ(対話)はどう違うのだろうか。
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