2018年、日本経済団体連合会(経団連)が、次代の日本の経済社会に向けた提言「Society 5.0」を発表した。これからは、デジタルトランスフォーメーションやITがますます浸透し、あらゆる産業の構造が大きく変化する。製造、サービスのあり方、物流などにおいても、過去の延長ではない劇的な変革が起きるのだ。こうした時代においては、変化に対して鋭敏であり、自ら変化を創造していくようなセンスをもった人でないと、経営者は務まらないといえる。
現在は、トップの経営力がかつてないほど問われるようになっている。カギを握るのは企業トップの判断力であり、経営判断そのものが会社の方向性を大きく左右する。
たとえば電機業界でいえば、かつては同じような業態の大きな会社が、横並びで競い合っていた。しかし昭和、平成を経たいま、そうした風景は一変した。いいモノを作ったから売れるという時代ではもはやない。どうやったら生き残れるかという判断ができるリーダーが求められている。
マーケットがグローバル化する現在、経営者にはグローバルな環境で訓練を積む機会が必要だが、日本ではそうした機会が非常に少ない。オペレーションで経験を積んだだけで経営感覚を磨くことは難しい。良き課長が良き部長になり、良き取締役になって社長まで出世してゆく――。そんな従来の流れは、もはや通用しない。20年間同じ仕事をしてきた人が、その企業体の将来を考えられるかと問われると、それは厳しい。若い時期から、1つのプロフェッション(専門職)として経営の全体感をもてるようトレーニングを積むことが肝要だ。
バブルの崩壊期、産業再生機構にいた冨山氏は、会社が生きるか死ぬかの瀬戸際の時でも、自分で物事を決められない経営者を多数見てきたという。変革を伴う大胆な意思決定を下す際は、会社の構成員全員がハッピーにはなりえない。多くの場合、光と陰が生まれるのは仕方のないことだ。
そんな中、自分の意思決定に対する反響を、すべて引き受ける覚悟がない人が経営者やリーダーだと、それは会社にとって悲劇でしかない。マイナスの反響を恐れて、構造的に弱くなっていくノンコア事業を玉砕寸前まで引っ張ってしまうのは、むしろ不幸なことだ。だからこそ、自分で決断できるリーダーでないといけない。決断できるかどうかは向き不向きもあるが、決断することが正しいという認識をもてれば、ためらうことはないはずだ。
デジタルトランスフォーメーションの時代は、マーケット状況がシビアになる期間が非常に短くなっている。液晶事業で最高益を上げた関西の総合電機メーカーが、数年後に一気に経営危機に陥ってしまった例もある。ゆえに、素早く決断することが欠かせない。
では、そうした経営力やリーダーシップを養うためにはどうすべきなのか。重要なのは、海外拠点で従業員に給料が払えなくなるような局面で対処するというような、厳しい経験をすることだ。計算できないことが起きた時に対応する経験を積むと、腹が据わる。経営者という仕事に向く人材にいろいろなミッションを与えて、ある意味でエリート教育を行うことが必要となる。
いわゆる「失われた20年」の間に、日本企業は世界での存在感を失った。その原因は、マクロ経済的な要因のみならず、企業レベルで「稼ぐ力」を失ってきたことにも起因している。このミクロレベルの最大の問題は、ガバナンス不在の日本的経営、つまり企業の上層構造にある。日本を再び活性化させるには、コーポレートガバナンス経営の実践が欠かせない。ガバナンスが変わると日本経済全体も変わるはずだ。
コーポレートガバナンスの議論は、「Society 5.0」時代の経営という脈絡でとらえなければならない。つまり、戦略性という観点での議論が必要だ。ガバナンスとは、下から上がってきた、実行してきたことの結果の報告を審査することではない。これからのガバナンスは、企業の力をどこに向けていくかといった戦略を議論できる仕組みをつくることである。会社の不正を正すだけでなく、企業の持続的な成長を実現するような、攻めのガバナンスこそが求められる。
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