2011年10月5日、スティーブ・ジョブズの死を伝えるニュースが世界を震撼させた。iPhoneの開発、iTunesによる音楽業界の再構築など、アップルの驚異的な成功をけん引してきたのはジョブズだったからだ。
それだけにジョブズ不在のアップルの行く末には、多くの人が注目した。ジョブズの跡継ぎとしてCEOに就任したのが、当時アップル最高執行責任者(COO)だったティム・クックだ。クックに対する評判は、「オペレーションの達人ではあるが個性がなく、想像力に乏しい」というものだった。ジョブズこそがアップルに大成功をもたらしたわけであり、彼不在のアップルは破滅に向かうのではないかと不安視された。
それでもクックは不安を表に出さず、冷静な態度を保った。クックはインタビューのなかで、「彼は私を選んだ時から、私が彼と似ていないこと、彼のコピーではないことを知っていました」と語っている。クックはジョブズが残したものの維持に全力を尽くしたが、ジョブズの真似はしなかった。
ティム・クックは1960年11月1日、アラバマ州のメキシコ湾に面した湾岸都市モービルで生まれた。中学と高校では代数や幾何学、三角法など、分析可能な指標を持つ科目に秀でており、「最も勤勉な生徒」に選ばれたこともある。また勤勉なだけでなく社交的でもあり、知的かつ穏やかな性格で、陽気な一面もあった。
高校卒業後にはアラバマ州のオーバーン大学に進学し、生産工学を学んだ。大学卒業後にはPCを発売したばかりのIBMに就職。最初の仕事は、工場の生産ラインのパイプライン管理だった。PCの製造に十分な量の部品が工場に揃っているかを確認する仕事だ。クックはその仕事において優れた才能を発揮し、IBMにおいて毎年作成される有望な25人の若手社員リスト「ハイポ・リスト」の第1位になった。
このハイポ・リストに載っている社員は経営におけるリーダーシップを学ぶため、大学へ通うことを義務付けられていた。クックもデューク大学フュークア・スクール・オブ・ビジネスの夜間クラスに通い、経営学修士号(MBA)を取得した。
クックは12年ものあいだIBMに勤務し、いくたびもの昇進を経験。最終的には北米エリアのフルフィルメント担当ディレクターになっている。
その後クックは、IBMからデンバーのインテリジェント・エレクトロニクス(IE)に転職し、リセール部門の最高執行責任者(COO)に就任する。IEでは1994年に32億ドル(約3600億円)だった売上高を、翌年には36億ドル(約4000億円)まで増大させた。IEはその後も成長を続け、1997年に1億3600万ドル(約150億円)で、ゼネラル・エレクトリックに売却されている。
IEの売却後、クックは当時世界最大のPCメーカー、コンパックのコーポレートマテリアル担当副社長として引き抜かれることになった。クックはコンパックにおける6カ月の在職期間で、JIT(ジャストインタイム生産システム)の派生である受注生産方式「ODM」を整備した。これは需要を見越してマシンを組み立てて保管するのではなく、受注後に製造を開始するための仕組みだ。これにより製造コストを削減できたコンパックは、コンピューターの値下げに成功した。そしてこのクックの活躍が、スティーブ・ジョブズの目に留まることになる。
1997年、一時アップルから追放されていたジョブズはアップルにふたたび呼び戻され、暫定CEOの座についた。
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