埼玉県川口市にある芝園団地。この団地はもともと都心で働く人々の住宅不足を解消するため、当時の日本住宅公団(現在のUR=独立行政法人都市再生機構)によって1987年に建てられた、典型的な大規模団地のひとつだ。だがこの芝園団地に近づくにつれて、中国語の会話を多く耳にするようになる。そして団地に入ると、日本語・中国語併記の貼り紙がされており、団地内の小さな商店街に入っているお店も、ほとんどが中国語で書かれた看板を掲げていることに気づくだろう。
2017年1月、著者は芝園団地に引っ越した。著者はそれまで海外で数多くのチャイナタウンを目にしてきたが、それでも芝園団地に初めて足を踏み入れたときには驚いた。その一方で、インターネット上に書かれているネガティブな情報と比べると、「思ったほど『荒れて』いないな」と感じた。
団地がいかに変化しているかを知るには、団地内の「メインストリート」ともいえる商店街を見るといい。著者が入居したとき、すでにメインストリートには日本人経営よりも中国人経営の店の方が多かった。その後、1年足らずの間に日本人経営の数店舗が閉店し、代わりに中国人経営の店舗が入った。さらには団地の周辺にも、中国人向けの食料品店や美容室、不動産、カフェなどが新たにオープンしている。横浜の中華街のような観光地とは違う、リアルな「チャイナタウン」が、芝園団地を中心にして広がりつつあるのだ。
引っ越ししてしばらくした後、著者は団地の自治会に入会した。その3カ月後、自治会総会に初めて参加することになった。20人ほどいる会員は皆、高齢の日本人だ。
会議中、自治会員の減少が話題に上った。団地に住んでいるのはおよそ2500世帯。以前は大半が自治会に入っていたが、このときの加入者は450世帯に過ぎなかった。加入者が減れば自治会費も減るため、財政事情も苦しくなる。また全住民の過半数が外国人でありながら、自治体に加入している外国人世帯は23世帯だけであり、ほとんどは自治会に入っていなかった。
芝園団地の特徴には「外国人が多いこと」と、もうひとつ「日本人住民の高齢化」がある。その理由は、芝園団地が建った1978年当時に、30~40代の都心で働いていた人々が入居し、現在まで住み続けている場合が多いからだ。団地は賃貸であるため、やがて持ち家を購入して引っ越す人も多く、1980年代から入居者数は減少に転じた。また親から子供へ部屋が相続されることはなく、独立した子供たちはやがて別の場所に居を構えるため、日本人の小さな子供を団地内で見かけることはめったにない。
その一方で1990年代から、中国人を中心とする外国人住民が増え始めた。2015年11月、芝園団地のある芝園町では、ついに外国人住民の割合が日本人住民の割合を上回った。芝園町の住民数は約5千人で、その過半数(約2500人)を外国人が占める。こうしたコミュニティは、全国を見渡しても珍しい。
団地に住む日本人住民と外国人住民は、意識的に交流を持たない限り、それぞれ接する機会は乏しい。著者の場合、川口市やその隣接地域の日本語教室で、ボランティアとして外国人住民の日本語学習を手伝っていて交流があった。また日本語教室の参加者の約8割は中国人だったため、中国人の住民像を掴むこともできた。
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