本書は、楠木建氏(以下、楠木氏)と山口周氏(以下、山口氏)の対談形式で構成されている。要約では、対談のエッセンスをまとめて紹介する。
そもそも仕事とは何か――本書はその定義から始まっている。著者(楠木氏)の定義では、「仕事」とは「趣味」でないものである。趣味は自分のためにやることで、自分が楽しければそれでいい。一方、仕事は「自分以外の誰かのためにやること」である。「自分以外の誰か」は、取引先だけではない。上司や部下、同僚など、組織の中にもあなたの仕事を必要としている人がいる。そのような人たちに価値を与えることができて初めて「仕事」になる。
「仕事ができる人」とは、「自分以外の誰か」に「頼りになる」「安心して任せられる」「この人ならなんとかしてくれる」、さらには「この人じゃないとダメだ」と思わせる人だ。一言で言えば「成果を出せる」人である。
この意味で、仕事の能力は「あれができる・これができる」というスキルを超えた「センス」だと言える。
センスとは何か。スキルは言語化・数値化して示せるが、センスは説明しにくい。またスキルは、正しい方法を選択し、時間を継続的に投入して努力すれば、間違いなく上達するものだ。TOEICやプログラミングがその例である。一方、センスは、努力と得られる成果の因果関係がはっきりしていない。
これまで、スキルはもてはやされてきた。金になったからだ。ところが昨今では、「役に立つ」ことが求められなくなり、「役に立つこと(スキル)」よりも「意味があること(センス)」が評価されるようになりつつある。実際、「役に立つモノ」よりも「意味があるモノ」のほうが高い値段で売られている。
例えば自動車の世界では、日本車のほとんどは「役に立つけど意味がない」ものだと言える。移動手段としては「役に立つ」が、そのクルマがあることで人生の豊かさや充実感が得られるわけではない。
一方、ランボルギーニやフェラーリはどうだろうか。車体は巨大なのに2人しか乗れず、悪路が走れないクルマなのに、数千万円の対価を支払ってでも欲しがる人が大勢いる。彼らは「意味的価値」にお金を支払っているのだ。
著者(山口氏)は、これを「近代の終焉」と表現している。日本企業の多くは「役に立つ」ことで評価されてきたのだから、「役に立つ」から「意味がある」への変化は、決して無視できない、大きな変化である。
仕事において、「直観(センス)」と「論理(スキル)」のいずれもが重要であることは言うまでもない。しかし、順番の問題としては、直観が論理に先行していなければならない。問題を発見・設定するためには直観が必要だからだ。
「分析(スキル)」と「綜合(センス)」についても同じようなことが言える。分析という作業には、「全体をどういうふうに分けるのか」という視点があるはずだ。その分け方にセンスが問われる。悪さの原因を直感的につかんでいなければ、「意味のある分け方」はできない。
分析をしても、これといった示唆や洞察が得られない人は多い。そういう人には、「スジのいい直観」がないのだ。
もちろん、すべての仕事を一人でできるわけはない。それを前提として、センスのある人は、全部を相手にしている。
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