私たちは小学校に入学して以来、他人の評価を受け続けて育ってきた。そんな私たちが、人からの評価を気にするのは仕方のないことでもある。人からの評価はよいに越したことはない。自己肯定感も高まる。しかしそのためにあえて媚を売ったりしていると、自分が嫌になってくることもあるだろう。
そんなときこそ、人からどう思われるかを気にしないでいられる自分をつくるチャンスだ。仏さまは、「慈悲で悟りを目指します!」などと向かうべき目標ややり方も自分で決めている。私たちも自分流のやり方で目標に向かっていけば、人の目を気にする必要はなくなる。ぜひ自分なりの幸せになれる目標を立てて、前に進んでみよう。
「人に気をつかって疲れる」と言う人がいるが、かといってわがまま人間になってしまうわけにもいかない。人に気をつかうのは立派なことだ。相手のためにする気づかいは人との関係をあたたかなものにしてくれる。問題なのは、疲れてしまうことの方にある。
気をつかったら疲れるのは当たり前だ。そう思えば、疲れることに対して腹を立てなくなる。その余裕を持つには、他人に気をつかわないでいい空間や時間を確保する必要がある。散歩や読書、気のおけない人たちとの時間、のんびりした時間を意識的にもつようにすると、心のバランスが取れて、気持ちがラクになるはずだ。
他人から期待される人物像に合わせて「いい人」「いい子」を演じる人がいる。そうして仮面をかぶりつづけていれば、当然のように息苦しくなってくる。
世間一般の「いい〇〇」のイメージはあまり当てにならないものだ。たとえば、「いい子」は親の言うことをなんでも聞く孝行者のイメージがあるが、そのために自分の考えや価値観が持てなくなっては困りものだ。「いい上司」の理想像は優しい人だと考える人もいれば厳しい人だと考える人もいる。「いい部下」にしても従順、気骨がある、など人の好みはさまざまだ。このような人物像をすべて網羅し、演じることは不可能である。
周りから期待される人物像を演じようとするより、自分が理想とする人物像を思い描き、それに近づこうとするほうがよい。自分の魅力や才能を発揮できるようになるだろう。
花を見て怒る人はいないので、仏教で花は優しさのシンボルである。
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