なぜ今、マルクスの『資本論』を学ぶのか。これまでも膨大な研究書や批評書があふれている『資本論』を見直すのは、これを生き延びるための武器とするためだ。
『資本論』のすごいところは、国際経済、グローバル資本主義といったマクロな話に関わることだけではない。上司がなぜイヤな態度をとるのかといった、きわめて身近で非常にミクロなところにも関わっていて、それらがすべてつながっていることを見せてくれる。
『資本論』を知ることで、苦しまざるを得ないような状況を甘受して生きることはバカバカしいことなのだ、と腑に落ちる人が増えれば、世の中は大きく変わるはずだ。
『資本論』の冒頭は、「資本主義的生産様式の支配的である社会の富は、『巨大な商品集積』として現れ」という言葉を頭に、「われわれの研究は商品の分析をもって始まる」と結ばれる。
なぜ『資本論』は「商品」の分析から始まっているのか。私たちの生きている社会では、必要な物の大半を「商品」で入手し、また自らも労働によって「商品」を生産しているからだ。実は労働力も、資本家が労働者から買う「商品」である。
つまり資本主義社会とは、労働力などの「商品による商品の生産」が行われる社会であり、さらに「富」と「商品」を同一視する社会と表現することができる。必要なものを自給自足していた社会では、「富」はあっても「商品」はなかった。この資本主義社会では、まだ商品となっていないものでもいずれは商品化されることになる。
マルクスは「商品」の生まれる過程について、「商品は、共同体の内部では発生しない」と言っている。たとえば、家族という共同体の中で物を売り買いすることはまずない。
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