『論語』の冒頭に登場する有名なフレーズとして、「子曰く、巧言令色には、鮮いかな仁」がある。これは、次のようなことを意味している。猫なで声で話す人とヘラヘラ笑っている人にだけは気をつけなさい。なぜなら、そのような人は「仁」を持ち合わせておらず、大体バカであるからだ。
『論語』において、「仁」は最重要かつ再頻出単語である。しかし、この「仁」という単語が論語の中で一意に定義されることはない。「仁」とは最高の道徳で、つまり人間主義、人間第一ということを表わしているのはわかるのだが、その先が掴めない。「仁」とは、人間についてさまざまな側面に触れている『論語』を読み込んでいくことで、初めてわかってくるものなのだ。
「仁」が何であるかは、孔子の弟子たちもさかんに質問をしている。弟子の顔淵に対して孔子は、「己れに克ち、礼に復えるを仁と為す。 一日、己れに克ちて礼に復えらば、天下仁に帰せん」 と答えている。この文章は、個人的な思いや感情、欲望という私心に打ち勝ち、普遍的な「礼」の精神で生きることを意味している。それこそが「仁」であるとする。そして、リーダーが私心を捨て去ることができれば、そのグループメンバーたちも同様に、他人を思いやることができるようになる。「仁」とはその人自身の心がけの問題であって、相手との関係の中でどうこうするものではないのだ。
この答えに対して顔淵がさらに具体性を求めると、孔子は次のように答えた。世の中には正しくない、くだらない、愚かな、最低なもの、つまり「非礼」が存在する。「礼」とは「非礼」なことを見ない、聴かない、言わないことなのだ、と。
そして弟子の仲弓に対しては「仁」について、「門を出でては大賓を見るが如く、民を使うには大祭を承くるが如くす」と例を挙げている。家から外に出てどんな人に会うときも、常に大事なお客を迎えたときのように深い敬愛の気持ちで相対する。人を使う立場になっても、傲慢な態度でなく、大きな祭祀を取り扱うようにうやうやしい態度で接する。
「己れの欲せざる所は、人に施すことなかれ」、つまり相手の気持ちになって、自分がその立場だったらイヤだと思うようなことはしない、ということだ。
また弟子の樊遅に対しては、「仁」とは人を愛することだ、とシンプルに答えている。
弟子の中には「どうすれば『仁』を実現できたことになるのか」と尋ねた者もいる。それに対して孔子は、「次の5つのことが実現できれば、『仁者』といえる」と答えている。
3,400冊以上の要約が楽しめる