会社が生み出している価値とはそもそも何だろうか。企業が社会に対して何か価値を提供できればその対価がもらえる、というのがビジネスの仕組みだ。しかしその価値自体は社会のあり方によって変わっていく。「過剰になったモノ」の価値は下がるし、「希少になったモノ」の価値は上がる。毎日ステーキが出てくればそれは普通のおかずになってしまうし、冷蔵庫を持っている家がまだ1割程度だった昭和30年代半ばだからこそみんながテレビを欲しがった。
今は、「みんなが心から欲しいと思うモノ」がなくなってしまっている。お金を払って解決したいと思うような「問題=困っていること」が、もはや希少になっているのだ。
そうして発生している問題が、「正解の過剰化」である。論理的な正しさを突き詰めた結果、みんなが正解に行き着いてしまって、デザインや機能に差の無い商品が市場にあふれるような状況になっている。どのような欲求に対する正解だったのか、という課題は置き去りにされ、技術の進歩で便利なモノが増え続ける、いわば「利便性が過剰」な状態だ。そうなると逆に便利さの価値が下がって、薪ストーブのような不便なものの価値が高まっている。ある意味、文明の否定と言える。
コストをかけてテレビのリモコンのボタンを増やしても、そこに顧客は価値を感じなくなっている。過剰な便利さを求めても、収益性の低い商品が生まれるだけだ。これは労働生産性を下げることにもつながっている。
会社は、「役に立つという価値」か「意味があるという価値」かのいずれかを戦略として選ぶ。日本企業はこれまでずっと「役に立つという価値」で戦ってきた。しかし今はその価値が過剰となり、「意味があるという価値」が希少になっている。別の言い方をすれば、インターネットによる文明の大革命が十分進んで、文化の時代になっているということだ。
しかしこの観点でビジネスを転換していくことは、多くの組織にとって難易度が高い。
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