8年もの期間と4000億円超もの費用をかけ、みずほフィナンシャルグループ(以下FG)の勘定系システム「MINORI」の構築プロジェクトは2019年7月に完了した。勘定系システムとは、預金や融資、振込など銀行業務を支える情報システムで、銀行の心臓ともいえる部分だ。その全面再構築までに、みずほFGは2段階のシステム統合と2回の大規模システム障害を経験している。
1999年、旧第一勧業銀行、旧富士銀行、旧日本興業銀行の3行が統合を発表した。2002年4月からは、個人や中小企業向けの旧みずほ銀行と、大企業向けの旧みずほコーポレート銀行の2編成体制になった。これがみずほFGの前身だ。経営統合を発表してから、まず旧3行独自の勘定システムを2つに再編することを目指した。しかしこの旧勘定系システムの再編成は遅々として進まず、2002年4月1日に1回目の大規模障害を起こす。結局、再編成は2年以上遅れた2004年12月に完了した。
みずほFGは改めてシステム開発を仕切り直して、2011年度までに新勘定系システムの刷新完了を目指した。しかし、その準備は2006年から2010年まで持ち越された。本格的なシステム開発に着手し始めた2011年に、東日本大震災が発生する。古いままの勘定系システムに大量の義援金振込依頼が押し寄せて、2回目の大規模システム障害が起こった。
なぜ2度目の大規模障害までにシステムを刷新できなかったのか。みずほ銀行は、1980年代後半に開発された旧第一勧銀の老朽化したシステムを使っていた。そのような古いシステムに対して、「まだ使い続けられるだろう」という甘い認識をもっていた。何かきっかけがないと、4000億円もの巨額なシステム投資は判断しにくい。みずほFGにとっては、2回目の大規模システム障害が新システム移行へ本格的に踏み出すきっかけとなった。
MINORIは、メガバンクでは初めてSOA(サービス指向アーキテクチャー)を全面採用した勘定系システムだ。アプリケーションやその機能を、それぞれ独立した「サービス」として部品化して組み合わせることで、システム変更の影響を極力おさえることができる。それによって、アプリケーション開発期間を約3割短縮できたり、単一の顧客番号による顧客管理が全店どこからでも可能になったり、振込依頼の集中記帳を一括のバッチ方式から一件ごとのオンライン方式にしたりと、機能の充実とコストダウンが同時に可能になった。
MINORIの開発に参加したITベンダーの数は約1000社に上った。これは、日本のITベンチャーの約1割にも相当する。とりわけ重要な役割を担ったのが、富士通、日立製作所、日本IBM、NTTデータの主要4ベンダーであった。
開発にあたっては、システム開発の定番であり、現状の業務フローを踏襲する「AS IS」の要件定義を全面的に禁止した。ユーザー部門が「今のままでよい」となってしまうことを避けたかったからだ。ユーザー部門には、銀行業務を1から棚卸しさせたうえで、あるべき業務フローを考えさせた。
プロジェクトの序盤と終盤に特別な会議体を発足するなどして各ベンダーの知恵やノウハウを集結し、最適なシステムのあり方について議論を重ねた。それでもプロジェクトは難航し、開発完了時期を2回延期せざるを得なかった。それは、2度とシステム障害を起こさないというみずほFGの決意のあらわれでもあった。
いくら品質のよいシステムを構築しても、旧システムからの移行フェーズでミスが出ればそれまでの苦労は水の泡だ。みずほFGは新システムへの移行に万全を期し、ATMを停止させた回数は計9回、期間は丸1年もかけた。
MINORI移行に伴い、営業店の事務手続きは大きく変わった。移行初日から業務をスムーズに回すために、約1万7千人の事務担当者に座学研修を受けさせ、全400店で各6回のリハーサルを行った。全店を回る講師は主に営業店で働いていた特定職(一般職)の女性が担った。支店出身の職員は、それまでは本部からの指示を受けて動くことが多かったが、MINORIプロジェクトでは自ら牽引役となり、キャリアの大きな転機となったという人も多い。彼女たちは今、次世代店舗の立ち上げなどで、なくてはならない存在として奔走している。
みずほFGは、2019年からの5カ年計画においてITコストを累計720億円削減する目標を掲げた。浮いたコストはデジタル分野を中心とした将来への投資に回す目論見だ。
あわせて、営業店や事務の改革にも取り組む。銀行の事務フローは勘定系システムに依存する。古いシステムに縛られた非効率な事務フローが、現場にそのまま残っていた。特に問題だったのが、営業店で受けた申し込みは基本的にその営業店で書類処理しなければならなかったことだ。そのため営業店では、多くの事務系職員を必要とした。
MINORI導入により、顧客情報管理は全店共通で可能となり、事務員の多くを営業店から事務センターに集約できるようになった。空いた店内スペースには、金融商品を勧めるコーナーや法人顧客と打ち合わせするコーナーを設ける。次世代型店舗の姿だ。
こうしてみずほ銀行から80年代のしがらみが消えていった。
銀行業界はAI、フィンテック、キャッシュレスなどの新しいプレイヤーが存在感を強めている。金融庁も金融サービスのデジタル化に前向きだ。そのような金融業界にあって、みずほFGが存在感を発揮できるかは、MINORIを使いこなせるかにかかっている。MINORIによって、コスト削減だけではなく、新しいビジネスアイデアの実用化も進めやすくなっているからだ。
また、デジタル変革をするには百戦錬磨のIT人材を豊富に備えておく必要がある。その点、世界最大級のシステム開発プロジェクトを経験したみずほFG内には、今後を担うIT人材が育った。
Yahooを傘下に持つZホールディングスとLINEが2019年11月に経営統合を発表したが、両社とも決済を中心に新しい金融サービスをもたらそうとするテクノロジー企業である。この2社と親密な関係を結んでいるみずほFGは、国内金融分野において主導権を握りうる立場にある。
MINORI開発に至るきっかけとなったのは、東日本大震災後の大規模システム障害だ。大量の義援金振り込みが処理上限を超えたことに端を発する。大きな問題は、午後三時以降の振り込みを翌日入金できるように夜間に一括処理する際に起きた。
1つの口座に対してできる処理に上限値を設けることは一般的である。安全かつ無駄なくシステムを利用できるからだ。しかし、23年前の稼働開始当時に在籍していた者ならいざしらず、当時の担当者はその存在すら認識していなかった。上限を超えたデータはエラーを引き起こし、データの復元だけでも8時間を要した。このロスも原因となって、翌朝以降さらに障害が拡大することになる。
自動処理がストップし、手作業で実行命令を入力しなくてはならなくなった。ミスが発生しやすい状況である。しかし、みずほ銀行は異常時のシナリオをシステムに組み込んでおかず、運用マニュアルも用意していなかった。障害の最中に、誤りの1つもないシナリオをテストせずにつくると同時に、人の手でミスを出さずに実行命令を入力するのは不可能だ。
そうして、システム障害の影響はATMの全面停止にまで広がった。振込処理の積み残しを完全に解消できたのは、システム障害発生から10日後のことであった。その間に入金が遅れた振り込みは、他行宛・自行宛含めて合計220万件を超えた。
障害が収束した後でみずほ銀行が設置した第三者委員会、「システム障害特別調査委員会」では、経営陣の決断の遅れやシステム担当者のミスといった30もの不手際が見つかった。金融庁も、この障害はシステム部門だけの問題ではなかったことを指摘した。
直接的な原因はシステム部門によるものが多いが、根本的な原因はみずほ銀行とみずほFG経営陣のIT軽視、および理解不足であった。勘定系システムは長期的な視点で刷新する必要がある。しかし、多額の費用や失敗のリスクを嫌って大規模刷新を先送りにしてきた。
その後、みずほFGは1年間にわたり再発防止策に取り組んだ。その象徴が、システムの全体図を把握するためのデータフロー図の作成だ。それまでもシステムごとの仕様書は整備していたが、データの流れに注目してシステム全体を貫いた可視化を行なったのは、これが初めてのことであった。このフロー図はそれ以後も、業務の流れが変わるたびに修整されている。
そもそものリーダーシップへの不安は、2002年4月に1回目の大規模システム障害が起きる数年前から始まっていた。
旧第一勧銀・旧富士銀・旧興銀の3行が経営統合の方針を発表したのは、1999年8月のことだ。統合で徹底した合理化を図る一方、戦略的な年1500億円程度のIT投資を積極的に実施して米国銀行に対抗していく、という説明だった。
しかし、肝となる情報システムの統合は当初から難航した。3行の力が拮抗し、統合に向けた業務の一本化や明確な経営戦略をそもそも示せていなかったのだ。経営判断をはっきりさせないまま統合方針の検討を小委員会に委ねた。現場部門は自分たちが長年開発してきたシステムに愛着をもっているため、なんとか自行のシステムを残そうと必死になる。結局は不毛な機能比較に陥り、富士通機を推す第一勧銀とIBM機を推す富士銀が真っ向から対立する構図となった。
興銀の仲介もあり最終的には、みずほ銀行の勘定系システムでは第一勧銀のシステムを、勘定系の周辺システムと情報系システムでは富士銀のものを採用することとなった。統合発表から4カ月にわたった情報システムの検討作業は、第一勧銀と富士銀のシステム担当者の間に決定的な溝をつくってしまった。その後3行は、それぞれの担当範囲だけを開発し、全体を見渡す責任者も置いていなかった。
そして迎えた4月1日午前8時、みずほ銀行の勘定系システムの利用開始直後に欠陥が表面化した。旧富士銀の勘定系システムが、都銀間のATM連携ネットワークから切り離されてしまったのだ。処理するデータ量が多くなり複数の条件が重なったときに、それまで見えていなかったシステムの不具合が発生する場合がある。だから、さまざまなケースを想定したテストを何回も繰り返さなくてはならない。しかし、システム統合の遅れからテストに十分な時間を割けなかった。
これに伴うATMなどの障害は何とかおさえ込めたが、口座振替処理の遅れをうまく収束できず、最大で250万件に達した。みずほ銀行の担当者のみならずITベンダーの社員も動員して、不眠不休でデータの入れ直しを進めた。みずほ銀行の口座振替の障害処理は4月18日までかかることとなった。
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