本要約では、各学部の研究者の論じた内容から、ポイントの一部を紹介していく。まずは工学だ。
工学に携わる者として、大阪大学大学院工学研究科准教授の高田孝氏は、「ドーナツの穴だけ残して食べる方法」と聞かれたら、その問題を正面から受け取ったという。具体的には、ドーナツの内側の形状を正確に把握した上で、工学的な切削の限界について考えるのだ。
ではどんな方法を使えば、ドーナツを高い精度で切削できるだろうか。口や歯を使うと、精度はせいぜい数ミリが限界だ。はさみやナイフを使っても、精度はよくても1ミリ程度だろう。
次に機械加工を試みる場合はどうか。有効なのは、ドーナツを樹脂などに浸して固形化することである。もうこの時点で食べ物ではなくなっているが、それに目をつぶれば、旋盤加工で0.1ミリ程度をめざせる。また、レーザーを短時間集中して照射するアブレーション加工なら、数十マイクロミリメートルの限界にまでたどり着けるはずだという。
「穴だけ残す」という点に着目すれば、切削ではなく「スパッタリング」という方法をとることが可能だ。ドーナツの表面を薄い金属でコーティングし、その後有機溶剤などでドーナツ成分を溶かしていく。すると、きわめて薄い被膜で覆われた「穴」が残ることになる。
このように、「切る」「削る」という単純な作業であっても、工学的には多様な方法がある。そして、材料の性質によっても考慮すべき点が多々あるのだ。
「美学」という学問の要は、何について研究するかというよりもむしろ、対象のどのような点に着目して、いかに考えるかというところにある。
大阪大学大学院文学研究科准教授の田中均氏によると、美学の立場なら、「ドーナツを食べるとドーナツの穴が無くなる」という前提自体に疑いの目を向けるという。なぜなら現実に存在する食べられるドーナツは、「ドーナツそのもの」とはいえないからだ。ドーナツを食べてしまったとしても、ただ1つの「ドーナツ」という概念は無くならない。「ドーナツそのもの」が食べられないのだから、その穴も無くなることはないと回答できるわけだ。
美学の立場からは、現実のドーナツを食べて残った穴という空間から、「人はさまざまな想いを馳せる」という面に着目することもできる。目の前のドーナツの匂いや味わいを通じて、以前食べたドーナツの記憶がよみがえってくることはないだろうか。ドーナツのように慣れ親しんだお菓子は、愛情によって守られた空間、家と結びつきやすいのだろう。つまりドーナツとは、その穴の存在により「家である」という結論を導くことも可能なのだ。
数学者の立場からは、「ドーナツの穴だけ残して食べる方法」というお題にどう向き合うのだろうか。大阪大学大学院理学研究科准教授の宮地秀樹氏によると、簡単に「不可能」とはいえないという。数学の世界では、不可能はとても重い言葉だからだ。
本来、数学においては、論理のルールに従って思考を展開する分には、何を妄想してもいい。そのため、「穴を残す」といった言葉を数学的に定式化すれば、解決策が見つかるという希望を見出せる。
たとえば4次元という空間にドーナツを置くことができるとしよう。私たちは普段「前後、左右、上下」という本質的に異なる3つの方向を認識できる3次元の空間に住んでいる。4次元とは、これにもう1つ自由に動ける軸が増えた空間だ。
ドーナツの穴を認識するには、穴に指を通して輪をつくり、知恵の輪のように指とドーナツをはずせないことを認識する必要がある。ここでは、「ドーナツの穴」とは、このようにドーナツと指を離れないようにするしぐさと定義しよう。すると、「ドーナツの穴だけ残して食べる方法」というお題は、「あなたの友人がドーナツの穴を認識したまま、あなたはドーナツを食べることができるか」というお題に言い換えられる。
もしあなたの友人が指を輪にしてドーナツの穴に通していたとしても、4つ目の次元を使えば、その友人の指にふれずにドーナツを食べることができる。ここでは、低次元トポロジーという分野の「絡んだ2つの輪は4次元空間では必ずはずすことができる」という論理的トリックを用いている。これが穴だけ残してドーナツを食べるというお題に対する、1つの回答になる。このように、数学において論理的思考は自由なのである。
人間の精神機能の不思議なところは、理性と非理性が共存しているところにある。人の心は、他者の心との共鳴を欲している。にもかかわらず、人の心を標本のようにピンで留めておくことはできない。捕まえたと思った瞬間に、指の間をすりぬけて逃げていく。
そもそも人の心は何を求めているのだろうか。大阪大学名誉教授で医学博士の井上洋一氏によると、それは精神医学的人間論の立場からすると、ドーナツの穴のようなものかもしれないという。ドーナツの穴があることで、ドーナツの上にある道は無限に続いている。私たちは、その穴のまわりをぐるぐると回る旅人だ。穴の存在によって、有限な人生の中に無限を垣間見ることができる。
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