本書のテーマは「創造的に考える、すなわち、Think Differentとは何か?」である。何かを「考える」時にはまず、「どこから考え始めるか?」から考えなければならない。
Think Differentの「Different」の語源をたどると、「離れたところに置く」とある。つまり、みんなが固まっているところから距離を置くという意味である。日本では、多くの人が同じようなことを考えているため、それと違うことを考えるのは簡単だ。しかし海外では、基本的にみんな考えていることがバラバラである。では、「みんな違う」という前提のもとで、さらに違うということは、どういうことなのか。
ビールを例にとろう。昔は数えるほどの商品しかなかったのに、今は相当な種類の商品がある。さらには、発泡酒や第三のビールまで販売されている。このような状況の中でイノベーションを起こすためには、さらに違うことを考えなければならない。今はビジネスでも研究でも、あらゆる分野でThink Differentが求められている。
歴史上、日本人で最もThink Differentしたのは松尾芭蕉だ。MITメディアラボのセザー・ヒダルゴ氏が考案した、歴史上の人物の影響力を点数化する「ヒストリカル・ポピュラリティ・インデックス(HPI)」という指標がある。具体的には、ある人物に関するWikipediaについて、「その人のページが何カ国語に訳されているか」「どれくらいのページビューがあるか」を計算する。すると、意外にも松尾芭蕉が1位であった。なお、2位以下は織田信長、昭和天皇、葛飾北斎、徳川家康と続く。
松尾芭蕉といえば、「古池や蛙飛び込む水の音」という俳句が有名だ。この句がなぜすごいのか。まず、「古池や」は「侘び」を表している。「古池」は「池」と違い、かつて池であったものをイメージするため「侘び」といえる。次に「蛙飛び込む」は「雅さ」と「下品さ」の象徴である。『新古今和歌集』以後、蛙の鳴き声は雅の象徴であった。しかし、その蛙を鳴かせずに飛び込ませるのは下品ということになる。そして最後の「水の音」は「寂び」を示す。「寂び」とは、物事の生命の本質がみずみずしく現れているということだ。つまりここで初めて池が死んでいなかったことがわかる。
「生命のいない白黒の世界」から「みずみずしい生命あふれるフルカラーの世界」へとドラマチックに展開する。そんな句を生み出せるのが、松尾芭蕉のすごさなのだ。
では、芭蕉をThink Differentの観点から分析するとどうか。そもそも、新しいアイデアを生み出すには、論理、直観、大局観の3つが必要である。
中でも最も鍛えるのが難しいのは大局観だ。これまで考え尽くされた問題を解くためには、大局観が欠かせない。なぜなら、大量の情報を新しい方向から考え直し、誰もたどり着いていない空白地帯を見つけなければ、答えが出ないからだ。しかし、一見「やり尽くされている」ような事象も、視座の「軸」を変えることで「空き」を見つけられる。破壊的イノベーションは、アップグレード(質)とアップデート(新しさ)のように、「あちらを立てたらこちらが立たない」という「トレードオフ構造」を両立させたところに起こるのだ。
この前提をもとに、松尾芭蕉のすごさに関する分析に進もう。日本にはもともと貴族が詠んでいた「和歌」がある。俳諧は和歌のターゲットを変え、ふざけた要素を加えてアップデートしたものである。芭蕉はさらに、この俳諧に「侘び」「寂び」をとり入れてアップグレードした。つまり、芭蕉のすごさは「まず新しくした後に、質を高めた」ところにあるといえる。一方、既存顧客(貴族)に過剰適応した和歌は、新しいターゲット(庶民)に展開していくのが難しかった。先に質を上げると、「イノベーションのジレンマ」に陥ってしまう。既存の市場に順応し過ぎた結果、新参者の「質が低いが新しいもの」に駆逐されてしまうのだ。そのため、まずは質にこだわらず、一回新しくした後に質を高める。これこそが、私たちが芭蕉から学べるThink Differentの鉄則である。
ここからは、「全く異なる複数の分野で、何度も創造性を発揮している日本の達人」とともに、「創造的に考えるとは何か」を考察していく。ポイントは、「全く異なる複数分野」である。1つの分野だけなら、才能や偶然の産物かもしれない。しかし複数となれば、その背景に何かしらのスタイル(方法論)があるはずだ。本要約では、本書に登場する5名のうち2名を取り上げる。
まずは、慶應義塾大学環境情報学部教授、ヤフーCSOで脳神経科学者の安宅和人氏。安宅氏は、思考とは「入力(インプット)を出力(アウトプット)につなげること」だという。入力と出力をつなぐ能力が「知性」である。
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