ワークマンは、もともとは日々現場に出続ける職人のよきパートナー、安くて丈夫な作業服を専門に販売する店だった。そのワークマンが、18年9月5日に、「ららぽーと立川立飛」に新業態「ワークマンプラス」を出店した。これにより、作業服専門店が、一夜にして、アウトドアショップへの変貌を遂げた。日本のアパレル史に残る革命的な出来事だった。
マネキンやポップを多用し、洗練された雰囲気の店構えは、これまでワークマンに見向きもしなかった一般客を呼び込んだ。ここからワークマンは怒涛の進撃を始める。
ワークマンの「イメチェン」ぶりに、誰もが「ワークマンが、カジュアルウエアの新ブランドを開発し、ワークマンプラスというまったく新しい店をオープンした」と思ったことだろう。しかし、そうではない。ワークマンプラスに並んでいる商品は、すべて既存のワークマンで扱っているアイテムのなかから、一般受けしそうなアイテムを切り出したにすぎない。そのうえで、店構えを思い切って変えた。つまり、売り方を変えただけだったのだが、ワークマンプラスの売上高は既存店平均の2倍に急伸したのだ。
2020年5月末で869にまで店舗を拡大、あのユニクロを抜き去り、1000店舗体制も視野に入った。19年の消費税増税、そして昨今の新型コロナウイルスの流行という強烈な逆風にもかかわらず、20年3月期のチェーン全店売上高は1220億円と、創業以来初めて1000億円の大台に乗った。なぜワークマンは強いのか。そこには、ファンの期待を決して裏切らない経営姿勢があった。
2012年4月、土屋嘉雄会長(当時)が、三井物産で商社マンとして定年まで勤め上げた甥の土屋哲雄氏(以下、土屋氏)を直々にワークマンに招き入れた。嘉雄氏の「何もしなくていい」という言葉を自分なりに解釈し、土屋氏はCIO(最高情報責任者)としてシステム面のインフラの構築や、加盟店の若手の声を聞くことに2年間を費やした。商社ではマニュアルに沿わず、頑張る仕事を30年以上やってきた土屋氏だったが、ワークマンは真逆の哲学で回っていることに感心した。すべてがマニュアル化・規格化され、誰でも運営できるシステムが確立されており、あまり頑張らなくても成果を出せる状態だったのだ。
そんなワークマンの「超効率経営」のスタイルを評価しつつも、土屋氏はこのままでいいのかとも感じた。仕入れ品を安く売るだけではブランド力はつかない。ユニクロやニトリのように、PB(プライベートブランド)を自社で開発するSPA(製造小売)に変わらなければこれ以上の成長は難しいのではないか。そう考えた土屋氏が中心となって、ワークマンは2014年に「中期業態変革ビジョン」を社内外に宣言した。主に取り組もうとしたのは客層拡大で新業態へと進み、その新業態をデータ経営で運営することだ。
PBブランドの商品開発を進めるにあたり、土屋氏は完成度がユニクロに追いつくまで24時間ワークマンの服を着続けると決めた。始めた当初、家族からは「ダサい」と評判は最悪で、社内でも真似するものはいなかった。
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