日本の近代洋画は「鑑賞できるオムライス」のようなものだ。オムライスの外側は西洋のオムレツだが、中身は日本的なケチャップご飯だ。油絵として描かれていても、日本の近代洋画のモチーフは極めて日本的だ。
明治から大正にかけて日本に輸入され独自に進化した「和製洋画」は、西洋の技法を用いながらも日本人向けにアレンジが加えられることで、瞬く間に市民権を得た。著者の考える洋画の定義は、明治から昭和にかけて、「独自の進化を遂げた洋風絵画たち」である。本書では、西洋を見よう見まねで吸収した黎明期、より成熟していった和製洋画の時代、西洋と日本の個性がぶつかり合って爆発した「昭和モダン」の時代、独自の進化を遂げた「日本フォーヴィスム」の時代の画家たちに分けて、有名なのによく知られていない日本の洋画家たちの作品と歴史について紹介している。オムライスを食べるように楽しんで読んでもらいたい。
黎明期の洋画家として最初に取り上げるのは、佐野藩士の子として生まれた高橋由一(たかはし ゆいち 1828~1894)だ。由一は武士であったが、幼少から絵を描くことを好み、12歳頃から狩野派の絵師に弟子入りして本格的に絵を学んだ。20歳を過ぎた頃に西洋の写実的な石版画を見てリアルな表現に感銘を受けるも、当時は画材が手に入らず、藩の仕事に追われた由一が油彩を学ぶことができたのは39歳の頃、横浜のイギリス人画家のチャールズ・ワーグマンに師事してからのことであった。
代表作は、「鮭」だ。縦に異様に長い構図は、床の間に掛け軸を掛ける日本の習慣の名残である。モノクロの写真ですら珍しかった明治の時代、実物と見まがうばかりに写実的に描かれた鮭の絵は、人々に大きな驚きを与えたに違いない。
西洋における静物画は、宗教上のアレゴリー(寓話)として描かれており、寓意的な意味や人生哲学が隠されている。たとえば、スペイン画家のルイス・メレンデスの「鮭、レモン、三つの器のある静物」で描かれた鮭は「キリスト」、周囲に描かれた果物は「人間の罪」、ポットは「女性」を暗示している。
しかし、由一の鮭には、そうした教訓めいた押し付けがましさがない。写真のような鮭が描けたという、描く喜びに満ちあふれている。作品にはサインも制作年の記載もない。この即物性、記録性が、工芸品のようなオーラを放ち、日本人の心を打つのだろう。
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