1人でいることは、みじめで恥ずかしい。はたしてそうなのだろうか。本当は、1人がみじめなのではなく、「1人はみじめだ」と思い込んでいることに苦しめられているだけだ。
もし「1人はみじめじゃない」と思えればどうか。1人の時間は、びっくりするくらい豊かな時間となり、さまざまな発見を経験する時間となる。逆に「1人はみじめだ」と思い悩み、心を忙しくし、とにかく他人を求める状態は「ニセモノの孤独」である。
これに対して「本当の孤独」とは、自分とちゃんと対話することだ。1人で一週間以上旅をして、やることが何もないと、自分の一番深い部分と対話できるようになる。自分が「本当は何をしたいのか?」「本当は何を考えているのか?」を知るためには、一定の時間何もせず、退屈し、孤独になることが必要だ。
「1人でいてもいい」と思うだけで、あなたは「ニセモノの孤独」の苦しみからも、うっとうしい人間関係からも解放される。晴れ晴れとした、楽な気持ちになれるだろう。
あなたは、「じゃあ、一生、1人のままなのか」と心配するかもしれない。そんなときは、誰かで気を紛らわさずに、孤独の中で自分自身のことを考えてみるといい。自分の深い部分と本音の対話をすることで、あなたは成長する。そして成長した結果、今まで気づかなかった新しいネットワークを発見するだろう。
あなたが「本当の孤独」に生きていれば、出会う人は同じく「本当の孤独」を生きている人である。あなたが出会う人は、あなたの水準と対応する人だからだ。あなたがアマチュアレベルなら、出会う人もアマチュアレベルである。あなたが「ニセモノの孤独」に苦しんでいれば、出会う人も「ニセモノの孤独」に苦しんでいる人なのだ。
私たちが1人でいることをみじめだと思うのは、日本人にとって「世間」が神だからだ。一神教を信じる人たちにとって、神を裏切ることは心を殺すことである。それと同じように、私たちは世間、つまり共同体に逆らうことを、社会的生命を断たれることと同じように考えている。
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