銀行で働く父の転勤で、ニューヨークに引っ越したのは、小学校1年生の頃だ。学校の授業では、何日たっても周りの子たちが何をしゃべっているのか分からない。この当時から、40年以上も後にソニーのかじ取りを託されるまで、著者はこのような「異」なる場所を転々と動き続けてきた。その中で、常に「異なるもの」の見方や考え方に触れ、その「異見」を取り入れようとしてきた。
異邦人としての体験はニューヨークにとどまらなかった。小学4年生になり、日本に帰国することになったのだ。この時の方が、カルチャーショックは大きかった。
その後も地元の中学に進学する直前にカナダへ渡り、2年半後にまた帰国した。今度は東京にあるアメリカンスクールに通い、大学も留学生や帰国子女の多い国際基督教大学(ICU)を選んだのだった。
海外で育った時間が長いからこそ、日本人として日本で生きると真剣に考えていた。父の助言もあり、CBS・ソニーに入った。
入社した1984年、ソニーはすでに世界的なブランドへと駆け上がっていた。ウォークマンは1979年に発売されていた。CBS・ソニーでは、外国部に配属、主に海外アーティストの日本でのプロモーションを手伝った。
ソニー本体に忖度する気など一切ない雰囲気の会社の中で、後に著者の人生を大きく変えることになる大先輩に会う。丸山茂雄さんだ。プレイステーションの誕生を陰で支えた功労者であり、新しいイノベーションの種を育てる先駆者だった。
新生活が軌道に乗り始めた1994年の年明け、上司に呼ばれ、「君にはニューヨークに行ってもらう」と告げられた。
後に経営者としての土台を創ることになるこのニューヨーク行きには、実は丸山さんが一枚かんでいたのだった。
「プレステの仕事さ。ちょっと手伝ってくんない?」そんな軽い口調でCBS・ソニーの丸山茂雄さんから電話がかかってきた。「ええ。いいですけど」とこんな返事をしたはずだ。これが会社員人生で最大のターニング・ポイントになった。
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