著者の自衛隊人生は順風満帆だった。陸上自衛隊の一般幹部候補生に合格し、幹部候補生学校から社会人としての生活をスタートさせた。そこでは、どんなにつらくても、「剛健(心身が強くたくましいこと)」の一言で一蹴されてしまう風土があった。
周囲の環境に影響されやすい著者は、見事に剛健色に染まり、「意識高い系」の幹部自衛官としての道を歩み始めていく。激務ながらも環境や人間関係に恵まれ、短期間で圧倒的な経験値を手にして「幹部上級課程」に入校。首席で修了し、歴代成績優秀者に名を連ねた。
一方、プライベートでは上級課程入校前に妻の妊娠が判明。無事に男女双子の子供を授かった。初めての子供で、しかも双子ということもあり、著者は妻の実家に近い駐屯地への転属希望を出した。希望通りの転属が叶ったものの、これが転落のきっかけとなる。
転属先で著者が担当したのは情報業務だ。ほとんどが機密情報のため神経を使ううえに、調整業務も複雑だった。このような業務では人間関係が生命線だ。しかし、不運なことにこの部署の上司がいわゆる「パワハラ上司」であった。
業務の報連相を19時過ぎまで後回しにされ、そこから長時間の指導と人格否定などの精神攻撃が始まる。著者の帰宅時間は毎日深夜に及び、翌朝は5~6時の早朝に出勤することを強いられた。さらには部署の全員の前で精神攻撃を受けるなど、パワハラはエスカレートしていく。最終的に著者は、「自分が飲む缶コーヒーの種類で怒られるのではないか」と本気で思うほどの精神状態に追い込まれた。
仕事で身体、パワハラで心を消耗した著者は、ついには全く眠れなくなった。妻も初めての育児で体力的・精神的に疲弊していた。藁にもすがる思いで上司に相談するも、一蹴されてしまう。そして2週間後、著者は叫びながら職場のデスクの下に潜ってそのまま病院に運ばれた。著者にはこの時の記憶がない。診断結果は「過労」「うつ病」「不安神経症」で、3カ月以上の休養が必要と伝えられた。
職場に報告するとすぐに3カ月の休職を認められ、自宅での療養を開始。パジャマで部屋にこもり、風呂も入らず、薬を飲んで眠るという日々を繰り返す。著者は医師から実家療養を勧められて帰省したが、道中にふと「死のう」と思いつく。
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