「莫妄想(まくもうぞう)」という、「妄想することなかれ」という意味の禅語がある。禅では、心を縛るものや心に棲みついて離れないものは、すべて「妄想」と呼ぶ。
とはいえ人間である限り、あらゆる妄想から逃れることはできない。大切なのは、妄想をできるだけ減らしていくことだ。
妄想を減らすためには、妄想の正体を見きわめる必要がある。『孫子』に「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」という言葉がある通り、敵を知らなければ、相手にどう向き合ったらいいのかわからないままだ。
妄想の根源にあるのは、ものごとを対立的にとらえる考え方だ。「生死」「勝負」「美醜」などと対立的に考え、そのどちらかを尊いものと思うと、そのことにばかりとらわれてしまう。比べようとするから、不安や悩み、心配事が増えるのだ。
比較することをやめたら、妄想の9割は消えてなくなるだろう。何かと比べることなく、絶対の自分を信じて生きていこう。
一度手に入れた物を手放せず、部屋が物で溢れ返っている――。その原因は「手放せない」「捨てられない」だ。
禅には、お寺や神社でお賽銭を投げることを表す「喜捨(きしゃ)」という言葉がある。なぜ大切なお金を喜んで捨てられるのだろうか。それは「ひとつ捨てることは、執着からひとつ離れること」だとされているからだ。執着は心を曇らせる要因だから、捨てることは喜ぶべき行為だと考えられている。
喜捨の精神で気持ちを吹っ切り、思い切って物を捨ててみよう。ポイントは「捨て方」だ。友人に譲る、ボランティア団体に寄付するなど、なにかの役に立つ捨て方であれば「もったいない精神」とも折り合いがつく。
捨てる物と残す物の選別には、禅語にある「把手共行(はしゅきょうこう)」の考え方を取り入れよう。「心から信じることのできる人と手を取り合って人生を歩んでいきなさい」という意味だが、これは物にも当てはまる。この考え方で、あなたの人生に寄り添ってくれる大切な物を見きわめよう。
「どうも、あの上司とはソリが合わない」「隣の奥さん、私のことを避けているみたい……」このような先入観に縛られていないだろうか。いったんマイナスの思いにとらわれてしまうと、なかなか払拭できないどころか、負の感情がますます濃くなってしまうものだ。
禅では「色眼鏡をかけない」という教えによって、先入観で人を判断することを強く戒めている。相手の一面のみをもって人間性を決めつけてしまえば、その人の本質を見誤ってしまうかもしれない。まずは自分から色眼鏡を外そう。
そのうえで、「一切衆生(いっさいしゅうじょう)、悉(ことごと)く仏性有(ぶっしょうあ)り」という禅語を胸に刻もう。「あらゆるものには、仏性という美しい心が備わっている」という意味だ。色眼鏡を外せば、相手の中にある仏性が見えてくるだろう。
幅広い情報が簡単に手に入る現代においては、「有り余る情報が判断力を弱める」という憂慮すべき問題がある。多すぎる情報は「迷い」のもとだ。
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