社会秩序とは神聖で、他のすべての権利の土台となる権利である。この権利は、自然から生まれたものではなく、合意に基づいて生まれたものだ。
人間は、自然の本性によって自由なものとして生まれ、理性を行使できる年齢になれば自分の生存にふさわしい手段をみずから判断し、自分自身の主人となる。もっとも古い社会は、家族だ。子供たちが生きていくためには父親の保護が必要になるため、親子の絆は自然に生じる。そして、成長して保護が不要になればその自然の絆は解消される。
保護が不要な段階でも親子の絆が保たれているとすれば、それは自然な結びつきではなく、両者が望んだ、家族そのものの合意による結びつきである。家族とは、政治社会の最初のモデルであり、父親は支配者、子供は人民の似姿として見ることができる。
人が家族を形成するようになれば、家を建て、私有財産が生まれる。やがて、地域的な言語や社会が形成され、技術革新による生産拡大によって、家族的所有以外に不平等な所有が生じる。すると、わずかな強者の利益のために大多数の人が隷属状態に置かれ、人々の自然な自由が失われることとなる。
こうした障害を乗り越えるために、人々は力を結集させることを迫られた。圧制の軛を逃れ、自分たちの身の安全と自由を守るために、多数の人々が集まって一つに結合しようとしたのだ。そこでの課題は、どうすれば他のすべての人と結びつき、なおかつ自分だけにしか服従せず、以前と同じように自由であり続けることができるかということだった。これを実現させるのが、社会契約だ。
社会契約は、これまで明文化されたことは一度もなかったかもしれないが、誰もが暗黙のうちに受け入れ、認めていたに違いない。契約の条項は、たった一つに集約される。それは、社会のすべての構成員は、自分自身と自分のすべての権利を共同体の全体に譲渡するというものだ。
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