1983年、ジャン・イーミンは福建省西部の孔夫という地味な村で生まれた。幼少期から勉強熱心で自己改革を強く好む性格だった。
イーミンの思考を知る上で象徴的な出来事がある。社会人になって初めて北京でアパートを購入した際のエピソードだ。彼は北京の住宅市場に関するネット上の全データをアグリゲート(集約)するソフトウェアを作り、情報をデータベース化した。その後、エクセルを用いて全ての選択肢をランク付けし、最終的に自分にとってただ一つの最適解を見つけ出した。従来のやり方に満足せず、現状に懐疑的な一面が見て取れる。実際、購入した部屋の価格は1年後、2倍以上に高騰していた。
天津にある南開大学でソフトウェア工学を専攻したイーミンは、旅行業界のスタートアップ、マイクロソフト、ITベンチャー企業など数社にわたって経験を重ねた。その後、「ジウジウファン(九九房)」という不動産検索サイトを運営するベンチャーへCEOとして招き入れられる。
さまざまな業界の経験と検索エンジン、ソーシャルネットワークの運用に関する専門的知識を吸収したイーミンは、リーダーとしての能力を証明していく。不動産の売買では、新規の住宅開発や自治体の政策など、買い手も売り手も常に最新情報に触れる必要があると感じたイーミン率いるジウジウファンは、主要なニュースや不動産サイトから記事を集約するアプリを開発し人気を集めた。
この成功に可能性を見出したイーミンは、その技術を不動産業界以外でも活用すべきだと考え、ジウジウファンを去ると決意する。当時スマートフォンが急拡大する局面で、ユーザー一人ひとりに向けた「パーソナライズレコメンド」の需要は確実に伸びると分析していたためだ。
ベンチャーキャピタルに勤める友人を口説き、資金調達をクリアしたイーミンは早速自身の会社を設立した。バイトダンスだ。情報の単位である「byte(バイト)」が技術を、「dance(ダンス)」がリベラルアーツを示し、人文学と結びついた技術を表現している。
イーミンは、米中の主要なオンラインコンテンツを片っ端から調査し、上位にランクされる非ゲーム系のアプリの多くはエンターテインメントに集中していることに気付く。そこでバイトダンスも、まずはエンターテインメントで市場に割って入ることを決めた。
ジウジウファンでの経験を活かし、さまざまなアプリを立ち上げてはその機能を市場で迅速に検証していった。当時中国のアプリ開発は未発達で、その多くが大容量コンテンツをダウンロードする方式であり、スマホに向いていなかった。イーミンは「小さな画面」「断片的な時間」「情報過多」の3つを大きな課題に設定し、これを解決するプロダクトを考えた。
チームは、ネット上のさまざまなコンテンツを集約して整理するというビジョンを掲げ、ビックデータと機械学習を活用し、個々人に合ったフィードを提供する、人間の手を介さないアプリ構築に取り掛かった。
そこで生み出されたヒットアプリが「今日のヘッドライン」を意味する「今日頭条」だ。後に広く「頭条(トウティアオ)」として略されるようになる。トウティアオは、今では普及しているマイクロコンバージョンを最初期に導入したり、ネットの通信環境が悪くなる通勤時などを想定し解像度を落とした画像を用いたりして、優れたUX(ユーザー体験)で人々を魅了していった。
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