芸術と聞くと、非常にとらえどころのない印象を受ける。なぜこんなものがこの世に存在し、ときに高く評価され、取引されるのだろう。芸術に全生命をつぎこんで悔いのない人もいるが、べつだん芸術がなくても楽しく生活していける。だから、芸術はきどった教養で、ぜいたくだと思われている面もある。
芸術とは何か。それは素朴な疑問ではあるが、本質をついた問題でもある。
芸術とは毎日の食べものと同じように、人間の生命にとってはなくてはならない、絶対的な必要物だ。そうでないように扱われていることは、現代的な錯誤のせいであり、そこから今日の生活の虚しさ、芸術の空虚さが来ている。
すべての人は、瞬間瞬間の生きがいを持たなければならない。そのよろこびが芸術であり、それを表現したものが芸術作品なのだ。
芸術はけっきょく生活そのものの問題だ。生活というと、普通の人は食いぶちを稼ぎ、余暇には適当な娯楽に興じ、また翌日には食うために働くことだと思っている。
ほとんどの人は仕事で何かを作っているが、そこに創るよろこびはあるだろうか。社会の発達とともに、人間は部品化され、歯車のように目的を失いながらグルグルまわりつづけるようになった。そうして人間本来の生活から自分が遠ざけられ、自覚さえ失っている。これが自己疎外である。
遊ぶための手段や施設はふえたが、遊ぶ人の気分は空しくなっている。どんなに遊んで楽しんでいるようでも、自分の生命からあふれ出てくるような本然のよろこびがなければ、満足できないものだ。
好きな娯楽を堪能し、いい家に住み、生活を楽にする。そうした外からの条件ばかりが自分を豊かにするのではない。だれでも本性では芸術家であり天才なのだ。だが、こびりついた垢に本来のおのれ自身の姿を見失っている。芸術は、日々の生活のなかで失われた自分を奪回しようとする情熱の噴出だ。そこに今日の芸術の役割がある。
著者は宣言する。「今日の芸術は、うまくあってはいけない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない。」
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