著者は慶応2年(1866)、埼玉県に生まれた。11歳のときに父を失った後は、百姓や米つきをしながら苦学することとなる。
19の春に東京山林学校に入学するも、第一期試験に落第、悲観して古井戸に投身したが死に切れなかった。思い直して必死で勉強をしたところ、みごと最優等を獲得。「落第するほど才能がなくても努力次第で成功できる」という自信を得た。
25歳で日本とドイツの大学を卒業し、東京帝大の助教授になる。人生計画を「40までは勤倹貯蓄、生活安定の基礎を築き、60までは専心究学、70まではお礼奉公、70からは山紫水明の温泉郷で晴耕雨読の楽居」と決め、毎日1ページ以上の執筆と、月給4分の1天引き貯金を始めた。
40歳で貯金の利息が基本給を上回り、念願かなって西洋旅行を19回繰り返す。仕事でも成功し、著書は370冊以上にのぼった。そして60歳で定年すると、財産のほとんどすべてを匿名で寄付し、再び働学併進の簡素生活に戻ったのだった。
25歳で東京大学の農学部助教授に就任し、固定収入が得られるようになったタイミングで、家族9名を養うこととなった。普通に生活していては貧乏生活を抜けられないと考え、「4分の1天引き貯金法」を実行することにした。収入があったとき、容赦なくその4分の1を天引きして貯金するのだ。
生活は苦しくなり、家族には苦労をかけた。だがこの天引きが、のちの資産形成の第一歩となった。
この貯金法は大変なものに見えるが、決して無理ではない。給料40円なら、最初から30円しかもらわなかったと思って10円天引きすればいいだけだ。ほんの一回、最初だけ、生活ランクを4分の1下げればいい。そうするのが一番楽で効果的だ。
一生のうち一度は貧乏生活を経験すべきだ。苦労してこそ、ものの見方が変わり、人生がより味わい深いものになる。貧乏になったことがなければ、本当の人生の値打ちはわからないし、堅実に生活を改善していく努力もできないだろう。
金が欲しいなら稼げばいい。重要なのは、適切な方法で稼ぐことだ。あくまで自力で、筋の通った正しい方法で稼ぎ、積み立てなければならない。
蓄財においては、雪達磨の芯を作ることがポイントだ。まず1000円貯める。するとたちまち5000円貯まる。5000円貯まると、まもなく1万円になる。金が金を生む。金があるといい智慧が出てきて、面白い投資口も考えられる。こうなれば、あっという間に金が殖えていく。
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