認知機能は生活する上で欠かせないものだ。例えば、相手の表情を読み取って(視覚認知)どんな気持ちか想像する(推論)ことや、熱いフライパンを見て(視覚認知)、触るのを止めておこう(判断)と考えるのには、認知機能を使っている。協調性や忍耐力などの能力についても、認知機能が土台であると考えてよいだろう。
認知機能の弱い子どもは、困難を抱えているはずであるが、そのことに気づかれないケースが多々ある。本書は、認知機能の大切さと、そこに弱さをもつ、困っている子どもたちに焦点を当てる。
精神科医である著者が公立の精神科病院を辞めて少年院に移ったのは、病院でできることは限られているとわかったからだ。子ども自身が自分の判断で精神科にかかることはない。保護者や福祉関係機関の支援者が連れてきて診察が行われるわけだが、これはじつはそれだけで恵まれたケースなのだ。
少年院では、なんらかの障害を抱えていて支援が必要であったにもかかわらず、そのことに誰にも気づかれなかった子どもたちがいた。非行化して加害者になり、少年院に入れられ、そこで初めてその少年には障害があり、支援が必要だったとわかるという現実があったのだ。
少年院に勤務を始めた直後の著者は、凶暴で手がつけられないと言われていた少年の診察を担当した。少年には知的障害があり、会話は弾まない。そこで、気分を変えるつもりでReyの複雑図形という検査をしてみた。これは、主に認知症や頭部外傷などの患者の認知機能を評価する検査として使われていたものだ。見本の図形を見ながら模写するという課題に対し、少年が描いてきた図は、見本とは全く異なる形の図だった。この見本がこういうふうにしか見えていないということは、世の中のことが歪んで見えているのではないか、と著者は驚いた。見る力がこれほど弱いならば、聞く力も弱く、こちらが伝えたいことが伝わっていないかもしれない。彼らを更生させるには、まず認知機能を改善する必要があるのではないかと思い至った。
認知機能の弱い少年は、少年院に大勢いた。立方体の模写は、標準的な子どもであれば7歳から9歳までの間にクリアできる課題だ。ところが、少年院にいる中学生、高校生でも、これができない少年がいる。殺人や傷害、強制わいせつなどの凶悪犯罪を行った少年たちのなかには、立方体の描けないものがいる。このような未熟な認知機能のまま、被害者の気持ちを考えさせるような従来の矯正教育を行っても、効果は上がらないのではないだろうか。
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