コペル君がまだ中学1年生だった、10月のある日のこと。コペル君は叔父さんと一緒に銀座のデパートの屋上に立っていた。霧雨の中、7階建てのデパートから見下ろす東京の街は暗く、冬の海のようだった。
ふとコペル君は、この街の無数の屋根の下に、無数の人々が暮らしているという事実に気づく。ここから見えるだけで、どれだけの人がいるのだろうか? そう問いかけると叔父さんは、東京は昼と夜で大きく人口が違うから、まるで潮の満ち引きのように、何百万の人間が行き来しているのだと答えた。
それを聞いたコペル君は、まるで自分が、大きな渦の中を漂う水の分子であるかのような気持ちになった。そして、自分が街の人々を見ているように、だれかがどこかから自分を見ているかもしれない、と思い至る。見ている自分、見られている自分、自分を眺めている自分……。コペル君はめまいのようなものを覚え、帰りがけに、叔父さんにこう漏らした。「人間て、叔父さん、ほんとに分子だね」。その言葉を聞いた叔父さんは、その夜家に帰ると、ノートを開き、コペル君へのメッセージを記した。
叔父さんは、コペル君が自分自身を、広い世の中の一存在として見るようになったことを、天動説から地動説への転回にたとえた。子どものうちはどんな人でも、天動説のように自分中心の考えをしているが、大人になるにつれて、世の中の構成員の一人として自分自身をとらえられるようになる。大人になっても手前勝手な考えから抜けきれない人も多いが、この世の真理を知るためには、自己中心的な考えを捨てなくてはならない。
叔父さんは、この日の経験が財産となることを願い、彼に「コペルニクス君」とあだ名をつけた。それが「コペル君」のあだ名の由来である。
コペル君の友人に、北見君という少年がいた。北見君は「誰がなんてったって……」が口癖の頑固者で、ガッチンと呼ばれていたが、自分の間違いはきちんと認める素直さも持っていた。
コペル君と北見君が仲良くなったのは、「油揚事件」がきっかけである。コペル君たちのクラスメイトには、お弁当のおかずが油揚ばかりだというので、「アブラゲ」というあだ名で馬鹿にされている浦川君という少年がいた。ある日、山口という意地の悪いクラスメイトが、浦川君のあだ名をからかってさらし者にしたのに対し、北見君は猛抗議したのだ。山口に殴りかかった北見君は、その後先生に怒られても自分からは理由を話さず、毅然とした態度を保っていた。コペル君は北見君の態度を大変好ましく思い、北見君を自分の家に誘ったのだった。
コペル君の話を聞いた叔父さんは、コペル君が北見君の行動に賛同し、浦川君に同情していることをうれしく思い、ノートを書いた。叔父さんも、コペル君のお母さんも、亡くなったお父さんも皆、コペル君に立派な人間になってほしいと願っている。立派な人間になるためには、世の中や人間についての立派な考えをもたなくてはならないが、そうしたことは、いくら本を読んだところで、本当の意味で理解できるものではない。実際に体験することで初めて、過去の偉人の言葉が理解できるようになるのだ。
だからいちばん大切なのは、いつでも自分自身の経験から出発することだ。
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