フェイスブック(現メタ・プラットフォームズ)などのビッグテックは、「安楽な暮らし」を実現しつつある。今後AIとロボットに仕事を奪われることがあっても、政府が国民に生活費(ベーシックインカム)を支給し、私たちは古代ギリシャよろしくロボットという奴隷に仕事を任せて、あまった時間を民主主義の議論やエンタメに振り分けるようになるかもしれない。
もちろんこれには強い批判もある。「安楽な暮らし」を管理するビッグテックは、プライバシーの監視をお金儲けの道具にしているからだ。しかしそこに抜け落ちているのは格差社会の視点である。お金に余裕のない人はビッグテックの提供する無料、安価のサービスを喜んで受け入れる。
これはまるで古代ローマ帝国の「パンとサーカス」だ。無償で与えられるパン(食事)とサーカス(娯楽)で人びとは満足し、政治的な関心は薄まる。「喜び」があるから支配を受け入れるのだ。
さらに、ビッグテックの支配は「ネットワーク効果」が強力に働く。同じサービスを使う人が増えるほど、サービスを使うメリットが高まるのだ。みんなLINEを使っていると、他のサービスに移るのが難しくなる。それは、そこから逃れられない「隷従」のニュアンスを含む。
AIを駆使したテクノロジーによる「支配と隷従」の構図は、GAFAM以外の企業が覇権を握っても変わらない。そうなると、わたしたちは二者択一の選択を迫られる。安楽な暮らしを楽しむ代わりにビッグテックの支配を受け入れるか。それとも支配と隷従からの自由を目指し、安楽な暮らしを諦めるか。
テクノロジーは進化しても社会が悪夢にならない。そんな第三の道はあるのだろうか?
「支配と隷従」に対抗する動きは、2020年代に活発になってきた。ウェブ3だ。ウェブ3は、ブロックチェーンという「あらゆる取引が記録される台帳」を核とした、新たなインターネットである。
この台帳を独占管理する企業はいない。そして、インターネットにつながる無数のコンピューターに同時に保存されるため、改ざんがほとんど不可能であるという特徴がある。送金や契約は「間違いなく正しい」ことが常に保証されているし、ひとつのプラットフォームの都合で記録が消えてしまうこともない。ブロックチェーンは「自由」なしくみであり、プラットフォームへの対抗馬としても期待されている。
しかし、リアル世界の価値とどう結びつけるかという問題もある。デジタルのアート作品に価値を与えるNFT(非代替性トークン)は、デジタルデータに「これがホンモノである」と示すデジタル鑑定書を付け加え、ブロックチェーンで保管できる。ただし、あくまで真正なのは鑑定書だけであり、これに紐付けられたアート作品が真正かは証明できない。『キャプテン翼』の著作権をもたない企業が漫画のデジタル画像にNFTを付与して発行しようとした事態は、その一例だ。
信頼できる会社にNFT発行サービスを任せれば、プラットフォームの再来になる。ブロックチェーンは自由でも、公正に管理する「支配」のサービスが存在しないとウェブ3は成立しないというジレンマがあるのだ。
ウェブ3では「支配と隷従」を破壊できない。「ビッグテックの破壊」を叫ぶ起業家は、「権力の奪取」を願っているだけである。そもそもこの社会に、支配による管理や運用を除いた完全に自由な世界は存在しない。それは無政府世界であり、「弱者が蹂躙され、強者が君臨するディストピア」だ。
だから、「支配と隷従」が公正に運営されるシステムを検討すべきである。
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