ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェは、著書『ツァラトゥストラ』でこのように語っている。
「君たちにとっても、生きることは激務であり、不安だから、君たちは生きることにうんざりしているんじゃないか?[……]君たちはみんな激務が好きだ。速いことや新しいことや未知のことが好きだ。――君たちは自分に耐えることが下手だ。なんとかして、君たちは自分を忘れて、自分自身から逃げようとしている」
自らを「激務」で取り囲もうとする現代人にとって、この指摘は他人事ではないはずだ。私たち現代人は、生きることの不安から逃げるために、予定を詰め込んだり、誰かにメッセージを送ったりせずにはいられない。
私たちの「自己逃避っぷり」を考えるうえでは、スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットの著書『大衆の反逆』も参考になる。オルテガは、現代社会を分析するにあたって都市を取り上げ、都市の特徴は人の多さ、つまり多様な人たちがみな同じ場所に殺到していることだとした。
新型コロナウイルスの感染拡大や働き方の多様化、地方移住ブームなどによって、事情は少し変わったかもしれない。だが「多様な人たちがみな同じ場所に殺到していること」を「話題に居合わせること」へのこだわりだと理解すれば、オルテガの議論は変わらず有効だ。話題のニュースやコンテンツに人が群がっているさまは、まさに都市に人が群がっているのと同じである。
では、人は都市に集まって何をしているのか。オルテガによると、人は他人の話も聞かずに、とにかく自分の考えを自身満々でしゃべりまくっている。
ソーシャルメディアやカフェ、繁華街などにおける人々の姿を思い出すと、心当たりのある人は少なくないだろう。誰もが自己発信やセルフイメージばかりを気にしており、自分の考えを疑わず、自信満々にリプライを飛ばしている。自分以外のことには平気で疑いを向けるのに、自分自身を疑うことはない。そこに私たちの自己逃避っぷりが現れている。
現代人の生き方は、ゾンビ映画のモブキャラのそれに似ている。「俺は絶対死なねぇ」と自信満々の人、「お前らみたいなやつが集団を危機にさらすんだ」と他人を非難してばかりの人、「キャンプはこっちのほうが安全に決まっている」と言って寝ちゃう人……これらのセリフを聞いて「あかんフラグや」などと笑う人がいるかもしれないが、これこそ私たちの姿なのである。
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